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歳時記エッセイ 「桜」

日本人なのに、と思われるかもしれないが、何年か前まで桜にさほど思い入れがなかった。
春は大抵、憂いを抱えていて、霞んだ空気はただ憂鬱を増すばかり。
桜が咲いたからと言って、大騒ぎする気にはなれなかった。

桜が特別な花だと気がついたのは、ここ七、八年ことだ。

母が六十歳を過ぎた頃、同窓会に度々出かけていた。
疎開していた田舎の小、中学校の集まりで、地元で家業を継いだり、嫁いだりした人が多い中、中学一年で町に戻った母のことを覚えている人は少なかったようだ。
それでも、持ち前の気さくな性格で場を和ませ、たちまち、まりちゃん、まりちゃんと慕われるようになり、地元での小さな集まりにも度々呼ばれていた。
その仲間の一人に、ヤクザ稼業から足を洗ったばかりという人がいたらしい。
そんな経歴で、少々強面だから、地元のメンバーは少し距離を置いていた節があった。
けれど、母は物事にこだわらないタチで、そういう人を相手にするのはお手のものだった。
ある年の春、関西のある名所で花見をした。
母はその元ヤクザの男性を輪に入れようと構って、何かの話の折にふざけて頭を軽く叩いたのだという。
「わし、親にも頭はたかれたことないけんな〜」と、その人は笑っていたそうだ。
分け隔てなく接してくれたのが嬉しかったのだろう。

それから数年が経ち、そうした集まりも頻繁でなくなった頃、その人が亡くなったと聞いた。
皆で花見をした場所で、首を吊ったのだという。
つぼみの気配もない、秋だったと思う。
皆が集まる、そんなところで死ぬなんてと、仲間うちには眉をしかめた人もいたかもしれない。
けれど、私はその人の胸の内を思った。

何かとうまく回っていかなかった人生。
どこでどう間違えてしまったかも、もはやわからなくなっていただろう。
何より失望したのは、自分自身に対してだったに違いない。
幼少時代を共に過ごした人たちとの花見は、数少ない楽しい思い出だったのだろう。
ここで死のうと決めた。
懐かしみながら、一方で、来年の桜はもう見なくてもいいと、思い極めたのだ。

確か、そんな話を聞いた後のことだった。
ある年、母と二人でささやかな花見をした。

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