夏来たり去らぬ桜餅
桜餅が好きだ。もっと言えば、桜味のものはなんでも好き。桜味のものが出回る季節は気合が入る。「桜餅なんて年中いくらあってもいいですからね!」が口癖の私。桜味が出回る短い期間に、少しでも多くの桜を体内に取り込む任務に精を出す。桜と一体化するのだ。
スーパーに行くたび、コンビニに寄るたびに和菓子コーナーに目を光らせる。できるだけ多くの桜を摂取すると言っても、さすがに毎日桜餅ばかり食べてはいられない。和菓子コーナーを見ながら今日の日付を確認。来週も余裕であるだろうな、と思ったり、今週いっぱいかな、買い溜めしとくか、などと計画的に考える。真剣そのもの。今年は5月に入っても桜餅が並んでいた。北の方に住む私の地域は、桜が見頃になるのは4月後半だったりする。ならば、5月に桜餅があってもおかしくない。長い期間食べられるならそれはラッキーだ。そのくらいの気持ちでいた。
今、7月も月末。スーパーの和菓子コーナーには、なんとまだ桜餅が並んでいる。さすがに長い。在庫が多すぎたのかな?と思っていたが、値引きされて、これで売り切りだろうと思っていても、次の日にはちゃんと新しい桜餅が並ぶ。そんなことを繰り返してもう何回目?私が時をループしているのだろうか。「年中あってもいいですからね!」と言っていた私でもわかる。
これは、違うだろ。
私だってどこかで気づいてはいたのだ。短い期間しか出回らないから、いいのだと。限られた期間、それすらも桜餅のおいしさのひとつなのだと。あることが当たり前になれば、ありがたさは薄れてしまう。きっとこれは桜餅だけじゃない。誰かがそばにいることが、自分に優しさを向けてくれることが当たり前だと思ってしまえば、相手への感謝や思いやりが疎かになる。期間が決まっているからいいのだ。会えないという時間的、物理的距離があるからいいのだ。人生に終わりがある理由も、きっとそこなんだろうね。限られているから、大事で、愛おしい。
春去りぬ。桜餅よ、来年の春にまた来てくれたらそれでいいから。だから、ね、今年はもうこの辺にしとこ。
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