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30年後、森になる

とある植樹プロジェクトのクラファンに支援をし、先日、お礼の手紙が届いた。クラファンは無事目標を達成し、植樹祭が行われた。

「30年後には樹高20メートルの森となり…」

感謝の手紙の文面に、「わぉ」と思った。樹が育つまでの期間の長さや木の高さに驚いたのではない。30年後の私って50歳超えてるじゃないの!無事生きていれば。53歳の私はどこで何をしているんだろう。なんて、自分でもびっくりするほど純粋なことを本気で思った。

未来について考えることがすっかり苦手になっていた。病気を患ってから、「今」をやっていくことに精一杯だったし、未来を考えるときに浮かぶのは決まって不安と絶望だったから。今となっては私の病気はすぐ死ぬものではなくなったけど、たぶん私は長生きしないだろうなと、悲観するでもなく、淡々と思い続けてきた。

そんな私が「50歳を超えた自分」のことを想像しているなんて。すごいなー。調子がいいってことなのかな。

今住んでいる家は、私が生まれた年に家族が住み始めた。私はこの家以外に住んだことがない。家族との距離感に悩み、早く出ていってやると思いながら今もここにいるのは、さまざまな理由はあれど、なんだかんだ暮らしやすいからだ。果たして、30年後も私はここにいるのだろうか。30年後、母は80歳を超え、父は100歳に近い。父と母がここに住むと決めて、私自身が選んだわけではないこの土地。父と母がいなくなった後に、私とこの土地をつなぎとめるものはあるのだろうか。仕事やパートナーとのことなど、「住む場所」が変わることはよくあるけど、その決断ってみんなどうやっているんだろう。終の住処って、満を持して決めるのか、考える隙もなく「そのとき」になっているのか。


樹の成長の話から随分と脱線してしまった。30年経って、私が参加したプロジェクトの森ができたらきっと見に行こう。そして、30年前の23歳の私のことを思おう。ちょっとロマンチックすぎ?痛くて上等。今植えられた苗木だってまだまだ青い。

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