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釧路・阿寒湖コタンへ行ったよ


○いざ行かんとなった理由


大学生の時に「AINU MOSIR」「Kapiw&Apappo〜アイヌの姉妹の物語〜」についてレポートを書いたことがあって
いずれも阿寒湖コタンが舞台だったので、いつか行ってみたいという気持ちがあった。
まず、両映画について端的にご紹介。



「AINU MOSIR」フィクション映画


主人公・カントは阿寒湖で育った中学生。趣味は音楽で、友人とバンドを組んでいる。
アイヌ文化の継承のため、同じコタンに住むデボが主体となり、ひっそりとイオマンテを復活させる事になる。
子熊を育てていたカントはイオマンテに反対するが__。
アイヌ文化を少しづつ理解していきながら、同時にアイヌらしさを強制されることへの抵抗といったカントの胸の内にある答えのない葛藤が静かに描かれる。
(イオマンテ:毛皮や肉を与えてくれる熊のカムイへの感謝を示す儀式。子熊を大切に育て、熊のカムイに人間の国=アイヌモシリは良いところだと喜んでもらい、それがカムイの国=カムイモシリで広まり、また恵みを与えてくれるという考え方。育てた子熊をカムイの魂をカムイモシリにおくる「熊送り」と言われる)
※「AINU MOSIR」関連で好きな記事
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/830b624ee56e3f17a0586d74d80de2f862e812ff

「Kapiw&Apappo~アイヌの姉妹の物語~」ドキュメンタリー映画


主人公の絵美と富貴子という阿寒湖出身の姉妹は、小さな時からアイヌの唄や音楽に親しんできた。
高尾に暮らす姉は東日本大震災を機に地元に戻り、阿寒湖で暮らし続ける妹と再会し、共に歌のステージに立つことに。
初めてのライブを控えた2人は、その余裕のなさに喧嘩することも。Kapiw &Apappoとして新しいユニットを組む姉妹の心情を丁寧に描く作品。
※6/2にテレビ放送予定




どちらの映像も阿寒湖コタンの方にかなりの協力をいただいて完成した作品であり、
ニュースやインタビューではなくて映像作品を通じて何かを伝えることについてどんなふうに感じられているのかを知りたかった。
ということで、いつか阿寒湖行きたいなと思っていたのだが
最近仕事が落ち着いているのと、夏はもしかしたらお盆の連休に仕事が入りそうなのと
次二風谷にいく前に別のコタンへ1人で行ってみたいと思っていたので
行くなら今しかないような気がした。
先月の鳥取出張と京都出張の間1日、移動への感覚がバグった瞬間に高額な飛行機をポチってしまい、
直前まで腹痛に見舞われ長時間移動への不安を抱えながらとりあえず行ってみた。
※結論、断食で耐えたので無事だった。さすがに毎日できることではないので1泊2日でよかった。
旅行の詳細は省き、今回の目的だった「伝えるための映像化について考える」、
具体的には、映像化する上での困難、望まれていること、街の人にどのように考えられているか、どんな作品であれば可能性があるか」についてだけまとめる。



○ドキュメンタリー作品について


一口にドキュメンタリーと言っても、描きたい部分で監督の演出は変わる。
これまで私は、最初に演出があってのアニメ制作の手法しか学んでこなかったので、ドキュメンタリーがどうやってできているのかもっと知りたいと思った。
密着します、撮ります、と言って「これがこの人の素顔だ」と言って公開するのだから
見ている人にとってはその映像のイメージがその人の全てになってしまう。そんなことは実際あり得ないんだけど。
だからドキュメンタリーは、そこに生きる人間が制作陣の眼差しに強く左右されることになる。
仮にドキュメンタリーを作るのであれば、映像的な展開ではなく目の前に息をしている人間をいかに丁寧に描くか、ということが最も大切なように思う。
前述の「AINU MOSIR」は名前や劇中の議論の場面で実際の人物の要素や考えをかなり取り入れているが、フィクション映画。
中学生にして主演をつとめたカントは今札幌で「タデクイ」という音楽バンドを組んでいる。
タデクイのドキュメンタリーとして、「良いドキュメンタリー」と紹介してもらったものがあるのでこちらにリンクと
映像の中で印象に残った部分だけ抜粋。


「ブルースを蹴飛ばせ!〜とあるバンドの日常〜」


「タデクイのことをアイヌバンドと呼びたい人間がいる。メディアの人たちとか。」
「実際前の違うテレビに出させてもらった時も結局最初はアイヌのこととか関係なく取材してくれる感じだったんですけど、
取材の担当の人が上の人に言われてアイヌのことを載せなきゃダメだったみたいで
それで結局『アイヌの○○』みたいな感じで書かれたのはちょっと何かなあみたいな」
「俺がアイヌっていう事実とバンドをやっていることは全然紐づくことでなはい。俺がアイヌだから音楽もアイヌのことをやってるんじゃないかとか
元があるんじゃないかみたいな見られ方されるのは悪いことではないけど別に関係ないし」
「バンドの中でのアイヌの精神性とか絡め方をされるとたまに切なくなる。虚しいっていうだけかな
自分らのこと知ろうとしてないんだって思った瞬間には腹が立つ
馴れ合いでバンドをやっているわけではないので 普通に(バンドの音楽で)いろんな人を納得させたい」


こういうことを言えるのがドキュメンタリーなんじゃないかと思うし、
息をしている人間の息まで偽りなく、心の中にあるものを描き出すということが大切だと思う。それはとても困難なことだけど、生きる人間そのものを映す上で最低限望まれていることだと思う。


お伺いしたお店
📍ART JEWELRY Ague Cafe karip
📍民芸喫茶ポロンノ



○フィクション作品について


ここから映画や映像作品からズレて、舞台の話をさせてもらうと
阿寒湖コタンには「阿寒湖アイヌシアターイコㇿ」という劇場がある。アイヌ文化専用屋内劇場であり、古式舞踊をはじめとして
現代技術と融合した新しい演出の舞台も毎日公演されている。
古式舞踊は舞踊をそのまま見せていただいているとして、
私が見た「ロストカムイ」の舞台はストーリー性があり、一種の映像作品と発想は近いものがあるなと思った。


「ロストカムイ」
ホロケウカムイとはエゾオオカミのこと。大雪で鹿が激減し、代わりに開拓者の家畜を襲ったエゾオオカミは人間によって駆除され、最終的に絶滅に至った。
アイヌ世界の中で大切な存在であるホロケウカムイ。「天から役目なしに降ろされたものは一つもない」のアイヌのことざわにもあるように、
人間の都合で環境に影響を及ぼすことについて考えさせられる舞台。
ホロケウカムイ役のダンサーさんがいて、3DCGの映像と7.1chの音響で物語が映し出される中
カムイへ向けた人々のアイヌ舞踊とダンスが融合し、ホロケウカムイの運命を描き出す。
カムイとアイヌが共に暮らす世界が見事に表現されることで、カムイを失った「ロストカムイ」の世界が丹念に演出されている。


この最新技術を使った「ロストカムイ」には何回行っても感動する、とお客さんにお薦めしていたのがオンネチセ(アイヌコタン中央部にある博物施設兼カムイノミ会場)でお会いした方。
ご高齢で引退してしまったが、昔は直接母親に習い古式舞踊を踊っていたとのこと。
ロストカムイのような新しい技術との融合に対して戸惑いはなかったのかと聞くと、
ご自身が踊っていた古式舞踊のような素朴なものの方が好きなので抵抗はあったが、あまり自分の意見を言い過ぎてもいけない、それに今は自分で踊れないから見守っていくことにしたと仰っていた。
これに限らず多くのフィクション作品がぶつかるところは、フィクションゆえ生まれて当然となる伝統文化との乖離だろう。

一方、別の方に伺った話ではアニメは夢を描くものだから違いはあって当然で、全員が納得することはない、と別のお店の方が仰っていた。
大切なことはフィクションでもなんでも大切なのはアイヌ民族と一緒に作っていくこと。ステレオタイプ的なアイヌではなく、生活の中にある小さな文化を丹念に描くこと。
制作陣にきちんとアイヌの人が入っていれば、感覚やニュアンスも反映したものを作ることができるし
全員に納得してもらうことができなくても、批判を最小限にできる。
これは非常に勉強になった。今回の一番の学びかと思う。

「ロストカムイ」のような舞台は2月の「ウタサ祭り」でも行われており、
ピアノと融合した「チピヤクカムイ」のユーカラの舞台がある。
フィクションを映像表現する中で神謡(口承のみで伝わるカムイの物語など)であれば元の話が決まっているので可能性があるのでは、という話をした時
神謡を表現する作品として非常に良い例と教えてもらった動画だ。
チピヤクカムイ 川上ミネ × 阿寒湖アイヌコタン @ ウタサ祭り2022
この動画を見たときに、唄い手が納得して新しいものを受け入れ、一つの表現にしていくのであれば
それが古式ではないからどうとか、少なくとも私の立場で言えることではないと思った。
ちょっと難しく考えすぎたというか、やってみてよかったなということであれば良いし
作り手の中にアイヌ民族の人がいて、一緒に作って納得して完成するのであればどんな形だって表現の可能性はあると思った。
また、生活の中にあるアイヌ文化についても話に上がって
「アイヌ民族は山や森の中にいて自然と共生している(でなければアイヌ民族ではない)」みたいなステレオタイプによる偏見(からの否定論)から逸脱するためには
日常の中の文化を知り、それがアイヌのものだとかそうでないとか決めつけることなく、単に描いていく。
人間を丸映しするわけではないフィクションの中でも、その要素がしっかりと入っていれば文化を映し出すことができると思った。


お伺いした店・施設
📍デボの店
📍オンネチセ
📍ART JEWELRY Ague Cafe karip



○結論
ドキュメンタリーであれば
そこに映る人の心のうちをそのまま映し出すこと、
フィクションの場合でも
日常の中の考え方や文化を丁寧に描くこと。
何よりアイヌの人たちと一緒に作っていくことが大事なんじゃないかなと。

まあ具体的に何も思いついていないけど、旅に持っていった問いへの自分なりの一つ目の答えは出せたのでよかった。
大学を卒業したときに、「今を生きる人たちの輪に入っていきたい」と思っていて
それが昨年、今年と少しづつ達成できている気がして嬉しい。
ただ、このことを考える時にいつも座り心地の悪い椅子に座っているような感じ、これで自分が合っているとは到底思えない気持ち、
なんて言ったらいいかわからないけど正解は程遠いような感覚はずっとある。
でもこの感じは、すっきりしないけど大事だと思うのでずっと持っておきたい。
本当に渡航費高いの買っちゃったしお土産も買いすぎたので次はしばらく我慢しよう、、、。

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