肩の力を抜くために、気合いを入れる必要がある

休むのが、苦手だ。
正確にいうと、「休む」という状態の適切な過ごし方がわからない。

新卒時代はホテル・旅館の運営会社に勤めていたので、シフト上で「仕事」と設定されている時間以外は休みだった。
当時は平日休みで友達となかなか休みが合わなかったこともあり、
ひとりでふらっと旅行に出かけたり、映画や本を楽しむことが多かった。

転職をするたび「働き方」は少しずつ理想に近づいていって、
ここ数年は遊ぶように仕事をし、仕事をするように遊ぶようになった。

「仕事」と「暮らし」の境目がキッパリと分かれていた日々では、
イベントをつくることや写真を撮ること、文章を書くことは心のよりどころで、その日々があるからこそ仕事も頑張れていたような気がする。

そして、「仕事」と「暮らし」の境目がシームレスになってきた頃、
自分の心を回復するためには「休む」という状態が必要なのだと気がついた。
ただひたすらYouTubeを眺めてぼーっとしたり、お家でコーヒーを淹れたり、スパに行って岩盤浴と温泉を行ったり来たりしたり、マッサージを受けたり。
日々の中で確実に減ってゆくHPを回復させるには、たとえまとまった時間でなくとも、回復のための時間をとることが大事だった。

豊かさとは、なくてもいいところにお金や時間をかけられることだと、いつかどこかで書いた気がする。
特に時間に関して、日々の暮らしに「余白」がないと自分のために手間ひまをかけることはできないな、と感じることが最近増えた。

「忙しい中ごめんね!」「忙しいところ撮影してくれてありがとう!」
そんなふうに声をかけられると、私は周りから「忙しい人」と思われているのだなあ、ただ楽しくてやっているだけなのになあ、と少し寂しい気持ちになった(もちろん、言った側にそんなつもりがないのは重々承知の上で)

ただ人よりマルチタスク的な生き方、働き方が好きなだけで(逆にいうと1つの専門性を深めて長く働くことができないという短所由来でもある)、
そしてそれ以上にまわりにいてくれるひとの喜ぶ顔を見るのが好きで、
気がつくと両手で抱えられない量のモノコトを抱えてしまっていて、それでもえいやと気合いで全部乗り切ってしまうから、今度はもう少し大きなモノコトが集まってきて。
そして、ひとつひとつのモノコトやひとに対して、時間や気持ちの割き方がおざなりになってしまうことに、自分を責めてしまうのだ。

「もっと自分にマルチタスク能力があったら」
「もっと私の視座が高くて、仕事ができる人間だったら」
「もっと◯◯の能力を身につけられていたら」

「だから、もっと学ばないと」

そうやって、本来「休む」という状態に充てられるはずだった時間は、
心をゆるめて豊かに過ごすはずだった時間は、完璧主義な私の手によって、奪われてしまう。

多分私は、休むのが怖い。
多少仕事ができなくたって、人や社会の役に立てなくたって、誰もまわりからいなくならないとわかっているのに。

新しいコミュニティを開拓することも、撮影に出かけることも、
できないことができるようになることも、イベントを企画することも、全部全部大好きな時間だ。
それでもやっぱり自分の血肉を使ってアイデアを生み出す作業は、HPを使う。
アドレナリンが出て、心はワクワクしているけれど、奥底ではジリジリと削られている部分がある。

これがあと1年と期間が決まっているのであれば、倒れるまで頑張ればいいと思う。
だけど、この先何十年も、この生き方はできない。

書いていて気がついたけれど、まわりの人にとって心をゆるめて過ごせる場所を作りたいと謳っているくせに、
自分が心をゆるめて過ごす時間が圧倒的に少ないのかもしれない。

頑張っている自分が好きだから、立ち止まるにはとてつもない不安を伴う。
頭でわかっていても、頑張らない自分を受け入れるのは、今でも少し難しい。

だからこそ、勇気をもって、余白をつくること。
自分の豊かさのために、時間を使うこと。
そして、目先の誘惑に負けずに自分を大事にできたときに、自分を褒めること。

気合いを入れないと、肩の力すら抜けない自分に笑ってしまうけれど。
完璧主義な自分だからこそできることももちろんあるので、
なんでもついつい手を伸ばして頑張りたくなってしまう自分も同じように大切にできますように。

新年度はそんなことを意識して過ごしていきたいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?