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青く、輝く

何者かになりたいとがむしゃらにもがく気持ちが、すっかりどこかに消えてしまった。

思えば、これまでがむしゃらに目の前のことに情熱を掲げられた原動力は、
全てネガティブな感情からくるものだった。

学生時代、あんなにカタリバにのめりこんだのは、過去の自分を救いたかったから。
卒業してからネクストカタリバや大人の文化祭を企画するようになったのは、仕事だけでは到底叶えられない、純度100%の想いが溢れる場をつくりたかったから。
副業でカメラを勉強したのも、CRAZYのコミュニティに参加したのも、それ以外にも小さなコミュニティをつくり続けているのも、自分が心地よく過ごせる居場所が欲しかったから。

もちろん企画や運営をしているその瞬間は、
自分のことはさておき目の前にいるひとのために全力を尽くしていて、
その結果ありがたいことに感謝してもらえたり、素敵な出会いに恵まれることも多いのだけれど。

それでもきっと本質的には、幼い頃から存在承認に飢えていた自分を救うためにやっていたことだったのだなあと、今になって思う。

✳︎

去年の秋、人生のどん底を経験した。
もっとしんどい思いをしているひともいると言われてしまえばそれまでなのだけれど、
28年間の人生のなかで間違いなく1番苦しい時期だった。

#アラサー独身無職彼氏なし
ハッシュタグでもつけておかないと笑いごとにできないくらい(笑)
所属もなく、ちゅうぶらりんな状態というのが当時の私には辛かった。
(このワーディングは結構友達にはウケていた気がする笑)

横を見れば、結婚したり、子どもを産んだり、着実にキャリアを重ねたり、フリーランスになったり、起業したり。
どんどん人生のフェーズが変わっていく友人たちがいて。

転職活動もうまくいかず、私はいったいいつまで自分のことで精一杯なんだろうなぁと、毎日のように泣いていた。

✳︎

そのあとご縁があって今の会社に拾ってもらって、
1番の理解者でいてくれる素敵なパートナーにも恵まれて、
少しずつ日々に彩りが戻ってきた。

新しいお仕事は、ルールも当たり前もこれまでいた世界とは異なることばかりで。
毎日いろいろなひとの足を引っ張っては申し訳なくなったり、
知識も行動力もない自分に落ち込んだり葛藤したりしながらも、
日々知らないことを知ったり、新たな学びがあるのは楽しくて、
もっともっと自分の力で仕事ができるようになりたいと踏ん張って過ごせるようになった。

頑張りたい気持ちはあるのに頑張れる環境がない状況のほうがめちゃくちゃしんどいことを知っているから、
たとえ仕事がうまくいかない瞬間があっても、どうしたら良かったのか?をその都度振り返りながら、自分なりに頑張れるようになってきた。

「このまま家賃が支払えなくなったらどうしよう」とか、
「このまま一生ひとりで生きていくのかも」という不安を抱えずに、
純粋に自分の実力不足とだけ向き合いながら日々を過ごせるのが、今は十分幸せだなあと思う。
(疲れちゃうときも、今日はちょっとしんどいな〜〜ってときも、もちろんあるけどね)

そう考えると幸せのハードルがただ下がっただけなのではという気もするけれど、
マズローの5段階欲求にもあるように、安心安全が保たれないと、思考は次には進まないもんなあとも思う。

そして。

やっと安心安全を手に入れたのに、手に入れたからこそ、
これまで当たり前のようにあった“がむしゃら”の感情がすっかりどこかに消えてしまった。

良くも悪くも、他人に期待しないようになったのも大きいかもしれない。
相手と過去は変えられないから、状況を変えたいなら自分が変わるしかないと、
頭では理解しつつもなかなか自分ごと化できていなかったことが、できるようになってきたのかな。
感情のままに生きていたあの頃の私より、少しだけ、大人になってしまったのかもしれない。

少し前まで、「あなたは何をしたいの?」と聞かれたら、
「集うひとが心をゆるめて過ごせるような、おかえりと行ってらっしゃいを伝えられる場をつくりたい」と答えていた。
だけど今は、本当にそれがやりたいことなのかわからなくなってきた。

だってその場は自分が喉から手が出るほど欲していた場で、
自分のエゴでしかなくて、自分が安心するために作りたかった場だったから。
そして今はパートナーがその場を用意してくれて、
おかげで私も自分で自分をゆるせるようになってきたから。

自分を救う、というゲームから、卒業どきなのかもしれない。
がむしゃらにもがいて、結局何者にもなれなかったけど、
それでも手元には大切なものがたくさん残っている。

なんだか少し寂しいな〜〜。
かつて大好きだったエモい映画をみて、自分を重ねて泣かなくなったときと、同じ感覚。

関係ないけれど、去年の夏、お仕事でお世話になった方から「頑張っていいんだよ」と言われて救われたことを思い出した。
「頑張りすぎだよ」「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」と言ってもらうより、
「好きなだけ、頑張りたいだけ、頑張っていいんだよ」と言われたことがとても残っていて、嬉しくて、めちゃくちゃ泣いた。ずっと大切にしたい言葉だなあと思った。

心をゆるめて過ごせる場をつくるのが好きなのは、変わらない。
多分きっとこれは誰に何を言われても、勝手にやり続ける。
仕事としてではなく、ライフワークとして、ずっと続けていく。

そしてそれと同じくらい、今はビジネスとしての視点を身につけたい。
自分の手で、できることを増やしたい。
AIがどんどん台頭していく世の中で(ここ1週間ぐらいの動きが早すぎてちょっと疲れてしまったけれど笑)
自分だからできることは何か、模索していきたい。

一見トレードオフに見えるような両軸を、欲張って、でも無理はしすぎずに、取りに行きたい。
うん、きっとそうなんだろうな。それが次のチャレンジなんだろうな。

時々休みながら、立ち止まりながら、
そして穏やかで幸せな日々も大切にしながら、
目の前のことに真摯に向き合いたいんだろうな。

これまでが真っ赤にガンガン燃える炎だとしたら、きっと次に目指すのは強く細く輝く青い炎で。
きっとこれまでとは少しだけ頑張り方が変わってゆくのかもしれないなあ。

「あなたは何がしたいの?」と聞かれても、
相変わらずきっと一言では答えられないだろうけれど。
まあそれでもいいか〜くらいの気持ちで、追い込みすぎずに生きていこう。

そんな感じの最近です。
またゆったり色々な人と話したいな~~!

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