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その出会いは偶然か、必然か

長崎に旅行に出かけた。
数年前にボランティアで松浦に行ったことがあるだけで、私の中での長崎のイメージは"ハウステンボスと佐世保バーガーがあるまち"だった。

コミュマネ仲間の友人が長崎県大村市に移住してコワーキングスペースの立ち上げを行うと聞いて、オープンしたら遊びに行くね!と約束したのが1年弱前。
ずっと楽しみにしていた長崎だったけれど、土地勘がまったくない私は出来立てほやほやのコワーキングを見学すること以外に来訪の目的がなかった。
ただ、こういうご時世で久しぶりの旅行だし、非日常が味わえたら良いかなあと、そのくらいの気持ちだった。

一緒に行こうねと話をしていた別の友人が「長崎に行くなら会いたいひとがいる!」と言ってくれて。
そこからはあれよあれよという間に素敵なご縁がたくさん繋がって、ものづくりやまちづくり、あるゆる施設を運営してる様々な方に立て続けにお会いするスケジュールがうまれた。

初日も2日目も、夜が更けるまで色々な方とお話をさせていただいて、一瞬で長崎が大好きなまちになった。
また会いましょうとお別れしたひとたちに、
またどこかで会えるといいな。

関係人口、という言葉がある。
移住と観光の間にいる、地域やそこで暮らす人々とゆるやかな繋がりをもつひとたちを表す言葉。

言葉の定義は理解できるけれど、
でも実際にそれはどういうことなんだろうな、とこれまでボンヤリ思っていた。

友人と色々話をしているなかで(暴力的な表現であるのは重々承知の上で)
「それでも結局、地方はどこも同じじゃないか?」という話が出た。
たとえば、綺麗な海が近かったり、壮大な山が近かったり。
夜は星が綺麗に見えたり、空が近かったり。
安くて大きくて新鮮な特産品があったり、空き家をリノベーションしてつくられた、ひとが集う場やコミュニティがあったり。

ちかくで見たらもちろんそれぞれの特性があって、あのまちよりこのまちのほうが、という点もあるだろうし、
「この食べ物が好き」
「ここから見える景色が好き」
という明確な"好きな理由"がある場合は、その土地の魅力はちがってみえるのだろうけれど。

ただ、縁もゆかりもない状態で愛着がわく地域には、会いたい人がいることが多いなと思う。
今回だって、たとえば友人がまったく違う地域に移住していたら私は長崎に訪れることはなかっただろうし、素敵なまちだなあと思うきっかけもなかったかもしれない。いつまでもハウステンボスと佐世保バーガーのまちというイメージだけを持っていたはずだ。

会いに行った先で新しい出会いがあって、
たまたま天候のおかげで日時がずれたイベントが来訪日に重なって。
そうやって色々な偶然が重なって、
今回、ほんとうに優しくて素敵な方々にお会いすることができた。
長崎市は斜面地が多いこと、斜面の上から見える景色がとっても綺麗だということ、みんなで囲む皿うどんや長崎ちゃんぽんは本当に美味しいこと、大村や東彼杵には魅力的なひとがたくさんいることは、ただの観光だったら絶対に知ることはなかったと思う。

そう考えると、特定の地域やエリアに観光地以上の愛着をもつようになるのも、
最初のきっかけは本当に些細な偶然なのかもしれないな。その先で素敵な出会いやつながりが生まれて、最初の出会いが必然になってゆくのかな。

今から帰る東京は、なんでもあるけど、なんにもないまちだと思う。
たとえば友人を連れてきたときに、
案内したい場所も、会ってもらいたい面白いひとも、地元には思いつかない。
生まれ育った品川というまちはどこに行くにも利便性は良いけれど、愛着があるかといわれるとそこまででもないかもしれない。

だから、横のつながりがあって、暮らしと仕事と遊びがグラデーションでつながっていて、なんでも面白がって取り組む生き方をしているひとたちがとっても眩しかった。

私はまだまだだな、と思ったし、
もっともっと色々なことを面白がりながら生きていきたいなと思った。

なんにもないまちだけど私は東京が好きだし、
東京にいるひとたちのことも好きだから、
私は私の持ち場で、好きなことや大切だと思うことをやっていこう。

ありがとう、長崎。
遊びに行けてよかった。
またいつか、再訪できますように。


▼おまけ
今回出会った人たちが関わっている場所や取り組みを紹介します!

coto

つくる邸

sorriso riso

さいとう宿場

いとなみ

み館

※未来訪のため写真なし

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