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全てを受け入れる「悟り」と自分軸のバランス

社会人として生きる中で、そして恋愛で色々と失敗する中で、私は大人になって「悟り」の境地にたっていると思っていた。

自分の思うようにいかない時や、相手が自分の思うようにしてくれない時、イライラしたり怒りたくなる気持ちをグッと堪えて、「でもこれで勉強になった」とポジティブ変換したり、「きっと相手はこういう(悪気のない)思いで行動したんだな」と、状況や相手を「受け入れる」ことを心掛けてきた。

争いや喧嘩をするぐらいなら、「それでもいい。」「私はこう思うけど、上の人(あなた)が言うならそのやり方に変える」という考え方がいつの間にか習慣になっていた。

それは、元々やりたいことがはっきりして頑固な私が、うまく生きていくための手段でもあったし、大人になるということだと考えていた。

しかし、それは間違えてるのかもしれないと思う、この頃。

「相手に合わせる」というのは、一方で「自分がない」とも言える。恋愛でも、仕事でも、我慢に慣れてしまうと、いざ自分軸を持っても良い環境になった時、「自分がどうしたいか」がすぐに考えられなくなっていることに気付いた。自分が考える正しさがないと、軸がぶれて、周りの意見に流されてしまったり、無理して頑張ってしまう。

この前、これから就職するいとこに会った時、歳下なのにとても自分軸があると感じた。「あれ、私も就職する前はそんなんだったはず」と考えた。

back numberの「青い春」の歌詞、「『まあいいや』が増えたのは大人になったからじゃなく空気の中に変なものを俺らが考えすぎてんの〜」という歌詞がとても刺さった。

人生観もそう。「転職したい」とか「上司ムカつく」とか「〜歳までに結婚したい」とか、そういうことをあまり考えなくなってしまったのは、「大人になった」のか「自分を無くしてしまった」のかどうなんでしょう。

大事なのはバランス。
今の自分には、自分軸を持って、自分の心を大切にすることが必要な気がする。
周りの意見に振り回されながら仕事して、終わらないし妥協したくない(してると思われたくない)から残業して、適当なご飯をコンビニで買って、帰って心身共に疲れて眠る。パタリと眠れない時は、何か不安が頭をよぎる。家事も溜まって、土日はゆっくりしたいから美容も疎かになる。

仕事は楽しいけど、私はそんな生き方がしたかったのではない。先輩の意見も、上司の意向も、もちろん大事だし、特に1年目は「郷に従え」精神でやってきた。

けど、もう30歳になっちゃったし。このまま仕事に飲まれて婚期を逃がす人生を過ごしていくのは嫌だ。

自分で考えよう。残業する時間も、仕事の内容も、着る服も、メイクも、髪型も、何を食べるかも、誰と付き合うかも。我慢してること、嫌々やってること、妥協してること、ある。

ほんとはワクワクして仕事したいし、自分のアイデアを提案するのは好きだし、好きな服を着て、髪型もメイクも「今日の私、いいやん♪」と鏡を見て思いたい。おいしいものや健康的な食べ物が好きだし、安心して寝れる時ってすごく幸せを感じる。

私は何がしたい?
私は何が嫌?

それを考えることが最近の私のトレーニング。

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