見出し画像

1本の缶ビールを用意すること

私が少し未来のためにできることは、自分に1本の缶ビールを用意することだ。

生きている限り、誰もが未来に向かって歩んでいる。未来は、木の枝のように分かれ、毎日が選択の連続である。

金曜日の朝だった。目が覚めるなり、「有給、使っちゃうか」とひらめいて、うっすら白み始めたカーテンの奥を見た。

放り出したいくらい面倒な案件を抱えているわけではないし、もちろん体調が悪いわけでもない。

しいて理由を挙げるとすれば、今日は夫の飲み会が決まっていて、しっかりとした夕飯を用意しなくていい、ということだろうか。終日、自分のためだけに時間を使えると思ったら、歯磨きをしながら鼻歌の出る心地だった。

週末になると疲れて手につかない「やりたいこと」を、今日なら着手できそうな気がする。

しかし、朝の日課でノートを開き、今の気分を書きしたためようとした瞬間、はたと思う。

果たしてやるべきことを疎かにした先に、本当の満足はあるのだろうか?

先ほどポンポンと浮かんできた「やりたいこと」に、嫌なプレッシャーを感じ始める。白いページが、本当の気持ちを聞かせてよと問いかけてくるようだ。

有給に9割傾いていた心が、そろりと起き上がる。満ち足りた夜に繋がる“木の枝”はどれだろう?

書き終えたノートを閉じ、外に出る。朝とはいえ、散歩が気持ちいいとは思えない蒸し暑さだった。

まだスーパーも開いていない時間で、近所のコンビニに入る。値札は見ないで、一番飲みたいと思った缶ビールを「これだ」とレジに持っていく。

始めてみると、思いのほか仕事の捗る1日だった。これ以上は無理だと思うところで「潔く切り上げる」選択もできた。

シャワーを浴びているあいだに冷やしておいたグラスは、白く結露して生ビールの神々しさを引き立てる。

黒酢とニンニクで漬け込んだ見切り品の大根が、ご褒美と言わんばかりにちょうど食べごろになっていた。そのほか、市販のおつまみカニカマとお気に入りの冷凍唐揚げを出す。ご馳走だ!

空になった缶を洗い、逆さにして水切りカゴに置く。

楽しいと思える時間ほど、あっという間である。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?