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知ることから始まる。『羊飼いの暮らし』読書感想文
大富豪から人生を交換してくれとせがまれて、悩まずノーという人はどれくらいいるだろう。
私たちは生まれる場所を選べない。今の人生と富豪の暮らしを天秤にかけて、心がぐらつく人は少なくないはずだ。
世界じゅうの大富豪から人生を交換してくれとせがまれても、父は絶対に断るにちがいない。
『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』(ジェイムズ・リーバンクス、訳:濱野大道)は、きれい事ではなく、富豪からの申し入れを断るに違いない人たちのノンフィクションだ。
イングランドの湖水地方で、脈々と羊飼いとして生きる一族にとって、大切なのは富めることではない。祖父から父、息子、孫と、今も昔も変わらずに受け継がれる農場を続けていくこと。それに誇りをもって生きる自分であること。
すべてを自分で決め、人生をゼロから作り上げる人もいる。しかし、私の人生はちがう。
羊飼いの男たちは、勉強も本も好まない。しかし一般的な単語のスペルはあやふやでも、土地についての知識は百科事典並み。羊飼いの一家の長男として生まれた著者にとって、本当に賢い人は学校ではなく山にいた。
本作は、著者の半生、尊敬し憧れた祖父との思い出、父との関係、羊飼いの1年が綴られる。ディテールにこだわって、著者の目に映る人や景色が淡々と綴られる文章はどこまでも詩的だ。しかも保養地としても名の知れたイングランドの湖水地方が舞台なのだから、旅情を誘われても致し方ない。
現代の産業社会が「どこかへ行くこと」や「人生で何かを成し遂げること」の大切さに取り憑かれていることを知った。要するに、地元に残って肉体労働をすることにたいした価値がないということだ。私はそんな考えが大嫌いだ。
幼き頃の著者は、湖水地方の美しい自然目当てに押し寄せる観光客に違和感を抱く。保養地としてスポットライトが当たるきっかけを作った芸術家に憎しみを覚える。勉強をして今の生活を抜け出せという教師の説教なんて、冗談じゃない。
産業化した現代社会と、伝統を受け継ぐ羊飼いの暮らしには、到底埋まらない溝がある。
多様性を認めよう、違いを受け入れよう。ーー羊飼いからすれば、そんなことは知ったことではないだろうが、現代は他者に寛容でありたいという時代だ。現代的な見方をすれば、この溝も無理に埋める必要はなく、ありのままでいいと考えるだろう。
一方で、多様性という言葉にすべてを背負わせ「そんな生き方もあるよね」で終わらせやすい時代でもある。無条件に受け入れてしまうことは、無関心と何も変わらない。広い世界を知ることは、自分の頭で考えることから始まる。
まるで、神様が私に教えてくれているかのようだったーー都会の住人たちがいかに過酷な生活を送り、私が田舎に何を置き忘れてきたか……。そのときになって初めて、湖水地方のような場所に逃避したい人の気持ち、国立公園の存在意義を理解できたような気がした。
本の世界の素晴らしさに出会い、大学で学ぶことを決めた著者は、現代社会に触れることで初めて湖水地方にやってくる観光客の気持ちを察する。幼い頃の違和感を消し去るほどではないにしても、知ったことで寛容さは生まれてくる。
本来の多様性というのも、まずは違いを知ることから始まるのだろう。さらに違いを見つけるには、世界の広さに目を向けること。そして、本を読むこと。
『羊飼いの暮らし』から学んだことだ。
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