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誰かはきっと凡という、この餃子を私は愛す

かねてより、皮から作ってみたいと思っていた餃子。一緒に暮らす彼は、市販で十分と言うけれど。

覚えているだろうか。小学生のころ、班に分かれて子どもたちだけで料理をした日のこと。

誰かが分量以上の水を加えて、カレーがシャバシャバになったことがあった。けれど、うちのシャバカレーがいちばんおいしいと、みんなで笑った日のことを。

そう。頑張って作り上げたものは、我が子同然。口に入れても、まずくはないのだ(目に入れても痛くないの類語)。

なんだかんだ自己満足ほど、おいしいものもないと思うんだようなあ。自己満足って言葉がアレなら、熱意か。愛でもいい。俺のために作ってくれたんだろ、と思えばこそ、黒焦げのハンバーグは忘れがたい味にもなる。

何が言いたいかというと、誰かはきっと、この餃子を凡と言うだろう。いやそれ以下というかもしれない。

だが、わたしは愛す。

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最後にはソコソコいい見た目で出来上がったこの餃子を、わたしは愛す!

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生地をこねるまでは順調だった。テレビの前を陣取り、巨人対ソフトバンク戦を見ながら手を動かす余裕があった。普段パン作りに使うカード(粉類をこねるのに使う道具)が役に立つ。

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まるめた生地を30分寝かせている間に、肉だねを作る。100円ショップで買った野菜ハンドルカッターを使えば、みじん切りなんて秒の仕事。またテレビの前に戻って、肉だねをこねこね(今回の巨人戦はなかなか見るのがしんどい展開…!)。

まだ少し時間があったので、使い終わった道具を片付ける。なんて完璧な動線!

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問題はここから。生地のあつかいがめちゃくちゃ難しい。ラップや手にくっついて取れなくなる。大量の打ち粉を駆使してようやく切り分けたものの、薄くのばして餃子の皮を形成することの難しさったら。

こんなんで包めるのだろうかと悲観しつつ、とりあえず手は止めない。ここで諦めたら、かけがえのない華金がなくなってしまう…!(※金曜日に作ったため)

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保育園児が粘土で作りました感のある餃子が並んだ。だ、大丈夫。ここまできたら、あとは焼くだけ…。

わっと逃げ出しそうな自分をなだめつつ、焼きに入る。

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結果、皮がフライパンにくっついて破けたらどうしようかという心配は杞憂だった。心配事の9割は起こらない、というお坊さんの言葉をしみじみ思い出す。

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なんと美しい焼け目だろう。

味? 味は、そこそこだった! キムチをケチったのがよくなかったと反省している。肉だねの味がうすい。しかしそれは次回どうにでもなることで、伸び代を感じさせる。

それにしても生地がもっちもちだ。良くも悪くも、びっくりするほど、もっちもち。これは薄く均一に皮を作れなかったところに原因を見出せる。彼は「饅頭みたいでいいじゃない」とフォローしてくれた。

要するに、伸び代しかないじゃないか…!

これからもっと、好きになる。私はこの餃子を愛し始めたばかり。

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