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「頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな」

最近、朝井リョウの小説『何者』を読み返しました。就活をテーマに大学生たちの人間模様を描いた作品で、もう何年も前に出た小説ですが、映画化されたので知っているという人も多いのではないでしょうか。
このnoteのタイトルは、『何者』に出てくるセリフからの引用です。

私は、この『何者』の主人公と同じタイプの人間でした。他人を観察して、わかったような気になって上から目線で評価して、そうやって自分のプライドを保っていました。
だから、この小説を最初に読んだ時は、朝井リョウが用意した罠にまんまとハマり、作品の最後で自分に向かってナイフが飛んでくるような感覚を味わいました。


この『何者』という作品をわざわざ読み返すほど、私にとって特別な意味を持つ理由が1つあります。それは、私が朝井リョウと同じキャンパスに通う学生だったからです。

彼は、大学2年の時に『桐島、部活やめるってよ』で、すばる新人賞を受賞してデビューしました。キャンパス内の生協には、朝井リョウのサイン入りポップとともに小説が平積みされていて、私はそっと目をそらしたことを覚えています。その時、私が抱いていた感情は、間違いなく嫉妬でした。

私が通っていた早稲田大学の通称”文キャン”(文学部と文化構想学部のキャンパス)には、「いつか何者かになりたい」という願望を、人一倍強く持った人間が集まっていたように感じます。私もその1人でした。
”いつか”をぼんやり夢見ていた私たちの中で、彼は素晴らしい小説を書き上げ、さっさと何者かになってみせた。「”いつか”っていつ?」と、現実を突きつけてくるような存在でした。


『何者』は、就活に悩み葛藤する登場人物たちのエピソードが描かれた作品ですが、私の就活はいたって順調で、ESも面接もほとんど落ちることなく、むしろ「私は社会に必要とされている人間だ」と思えたほどでした。

しかし、第一志望の会社に入って、六本木ヒルズのオフィスから景色を眺めても、社内で表彰されて給料をどんどん上げても、常に「私は何者でもない」という意識に苛まれ続けていました。そして、会社を辞めてフリーライターになり、紆余曲折を経て、eスポーツの記事を書く人になりました。


別に有名人になったわけでもないけれど、顔と名前を出して個人で仕事をするようになって、自身が何者でもないことに絶望する気持ちはなくなりました。そして、いつしか他人のアラ探しをして、自分の中の何かを保つこともなくなりました。

何者かになるというのは、自分を世間の目に晒し、評価される側になることなのかもしれません。でも、こうやって好きなことを仕事にして承認欲求を満たすために、たくさんのものを捨てたとも思います。


これから読む人もいるかもしれないので、ストーリー上のどんな場面で誰が誰に向けていった言葉かは伏せておきますが、『何者』にはこんなセリフが出てきます。

十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。
自分は自分にしかなれない。痛くてもカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。

タイトルに引用した「頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな」というセリフも含め、この作品の一貫したメッセージがどんなものか、読んでいない人にもおおよそ想像がついたでしょうか。

安全な場所から他人のことを評価するばかりで、失敗する勇気もない自分のことを、いつまで見て見ぬ振りしているのか? と。私にとっては、大学生の頃に朝井リョウ自身がそうして見せたのと同じ現実を、再び突きつけられた気持ちでした。


私が足を踏み入れたeスポーツの世界は、まだまだ発展途上にあります。ここでは、完璧な理想の形に比べれば10点とか20点かもしれなくて、そんなことは自分たちが一番わかっているけれど、それでもやるしかないと腹をくくって挑戦している人たちがたくさんいます。
勝つ人がいれば負ける人がいる勝負の世界で表舞台に立つ選手たちを筆頭に、その舞台を支えるあらゆる立場の方々まで、そういう人たちを間近で見てきました。

だから、試合内容や結果に対してとか、大会の運営に対してとか、はたまたeスポーツ業界に対してとか、「もっとこうすればいいのに、わかってねえな」みたいな声を見たり聞いたりするたび、私には今できる限りのことを頑張っている人たちの顔が次々と浮かんで、胸がギュッと締め付けられます。

この世には魔法なんてなくて、どんなことも1つ1つ泥臭く積み重ねていった先にしかない。しかも、その泥臭い努力の多くの部分は、表から見えることはありません。
自分が”わかっている側”だと思いたくて、半ば無意識に批評めいたことを言ってしまう心理も、かつての私を思えば痛いほどわかる。けれど、何のリスクも背負わずに発したその言葉が、頑張っている誰かの心を殴っている可能性があることは確かです。

どんなにカッコ悪くても、ちゃんと今できる精一杯のことを世に晒しながら生きている人の方が、頭の中にある”傑作”を信じている人たちよりも、ずっとずっと価値があるんだって、私は信じたい。
今の私はそう思っているし、そう言い聞かせていないと、心が死んでしまいそうな日があるので、このnoteを書きました。ついでに誰かの心にも届けばいいなと思っています。


いつも何だかとりとめのないnoteばかりですが、読んでくださってありがとうございました。もし引用の中で刺さるセリフがあった人は、ぜひ『何者』を読んで心をズタズタにされてください。それでは、また。

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