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記憶とか思い出とか/「生きるとか死ぬとか父親とか」のドラマを見て。

私は福岡市博多区で生まれた。
生粋の博多っ子で派手なことが好きな父と鹿児島の田舎で育った質素倹約家の母のもと、自由奔放に育った。

これは私が小学校高学年のときの話。
当時、父の実家が博多区で商店をしており母もそこで働いていた。母は普段から化粧もほとんどせず髪も無造作で、お洒落に無頓着な人だった。
ある授業参観の日、母はいつもの仕事着で学校に来た。
おませさんだった私は「友達のお母さんたちみたいにお洒落をしてよ」と母に言ったことがある。それを聞いていた父が「よく見てみろ、母さんはいい顔してるだろ」と。いい顔とは遠回しに美人だと言っているのだ。
この父の言葉に母は嬉しそうでどこか気恥ずかしそうにしながら料理をしていた。

この話には続きがある。
休日に父が、百貨店に買い物に行くぞと言い出した。母にフォーマルウエアを買うために。あの私が言った「お洒落してよ」の一言を誰より気にしていたのが父だった。人の多い百貨店は苦手だけど、言い出しっぺの私はしぶしぶついて行った。

鼻にこびりつくような香りとぎらぎらとした店内。正直母のイメージとはかけ離れている。父が選び母が鏡の前で服をあてる・・・どう見ても似合わない。
子どもながらに「いや違う」と思い見ていたが、母がとても嬉しそうで言えなかった。「派手じゃないかな、私に似合うかな・・・」と自信なさげな母とは対照的に「俺が選んだ」と言わんばかりに自信満々な父。
そしてその日、ゴールドボタンに肩パットの入った濃い紫色のフォーマルスーツを父は購入した。それからの授業参観には、必ずそのスーツを着て母は学校に来た。

なんでこの話をしようと思ったかというと、吉田洋さん主演の「生きるとか死ぬとか父親とか」というドラマを見て父を思い出したからだ。
吉田洋さん演じる浦原トキコの父親役は國村隼さんで、顔も背格好も父にとても似ており、國村隼さんを父と重ねドラマを見ていた。

このドラマの4話で、親子で家族の思い出を辿りながら銀座をまわるシーンがある。その2人の様子を見ながら、父もそうだったなと思い出していた。「あのときは、ここにあの店があった」「あそこにはこんな人がいた」とよく語っていたことを。父は博多、祇園、中洲川端が好きな人だった。

博多駅はずいぶんと変わった。住んでいた町も、あのときの面影がどんどん薄らぎ、私も25歳から他県で暮らしているから、もう博多のことはわからない。父が今の博多を見たらなんて言うのだろう。きっと「あのときは」「むかしは」と私にいろいろと語るのだろう。

過去の思い出の場所が無くなっていくことは、とても寂しい。この寂しさは年を重ねることで助長されるように思う。自身が老いることも、知っている場所がどんどん変わっていくことも身をもって感じるからだ。記憶していた場所は無くなり、その記憶を共有できる人も減っていく。それは自分の人生が消えてなくなっていくような切ない気持ちにさせる。

このドラマで故人の私物について、「他人にはゴミに見えるものでも遺族にとっては大切な記憶なんです。使い道はないけど、ゴミじゃないってものが世の中にはあるんですよ。」とトキコが語る場面がある。

ふと母を思う。
母のクローゼットには、30年以上前に買ったあの紫色のスーツがクリーニングをした状態でかかっている。そして着物箪笥には父の着物が今でも大切に保管してある。
それらは母にとって、大切な記憶なのだ。

記念日や誕生日などすぐに忘れてしまう私だけど、父の命日である10月が近くなるといつも幼少期を思い出す。父が「忘れるなよ」と言っているようで・・・なんだか父らしいなと思う9月の最終週です。

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「生きるとか死ぬとか父親とか」というドラマは、Netflixで見ています。
言葉がとてもキレイで、吉田洋さんの落ち着いた声で聞いているととても心地良いです。
このドラマには原作があり、新潮社さんより文庫本が出版されています。
言葉を記憶しておきたくてこちらをポチッとしました。気になるかたはぜひ。

https://www.shinchosha.co.jp/book/102541/

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