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毒親からの解放〜息子と毒父をトレードオフした話〜

「毒親」という言葉が一般的になりました。最近読んだ中村敦彦さんの毒親本や報道で取り上げられる毒親は犯罪的なものが多く、特に「母親から娘へ」というケースが圧倒的です。私も毒親育ちですが「マイルドな毒親」で、ネグレクトや性的虐待の経験はありません。また、毒親が「父親から娘へ」というケースは少数派のようです。年末に中村さんの本に加え、「母という呪縛 娘という牢獄」を読み、数年前に書いた私の雑記を加筆しました。同世代の子育て中の方々にも、案外「マイルドな毒親」は多いのではないかと思います。しかしマイルドであっても毒親は毒親であり、親にも子にも取り返しのつかない悪影響を与えます。私自身も自分が毒となっていないか常に確認しています。全ての子どもたちに幸せな子ども時代を過ごしてほしい。私たち大人は、今すぐ「大人→子ども」「大人>子ども」という価値観を改めるべきです。私自身、子どもたちから学びながら対等な関係で生活し、彼らの幸せに繋がる行動を示したいと心がけています。


父の支配下で演じた「父の好きな娘」- 毒親育ちの子どもの闇


2016年3月、私は息子を出産した。

妊娠中から出産時まで私が最も懸念していたことは「我が子が無事に産まれるか」より、私の父の毒親っぷりが我が子にまで及んでしまうのではないか、ということだった。

父がどんな毒親だったかを一言で説明すると「外的コントロール」が酷すぎる、ということだ。「外的コントロール」とは「選択理論」を学んでいる人にはお馴染みの概念であるが、「他者の思考や行動を、外部からの刺激によって"無理矢理"変えようとする行為のこと」である。

・私や母を完璧に支配していないと気が済まない
・父の思い通りの進路を私に強制する
・私の言動は基本的に批判か否定
・すぐにイライラする
・感情が急激に変化し、激情型
・家族以外にもマウントをとりやたら否定する
・自分の実績や才能を誇張し、自分が優れていると思い込んでいる
・会話を独占する
・傲慢で横柄で暴力も辞さない

書き出したらたキリがないが、とにかく父と一緒にいて安らぎを感じることはなかった。経済的に困ったことはなく、たくさんの知識や教養を与えてくれ、旅行などの楽しい思い出もたくさんある。それでも私は父といる空間に心地よさを感じたことはなかった。父といる時にはいつも「父の好きな娘」を演じていたからだ。

私は高校生になるまで父にほとんど反抗をしなかった。父は完全に私を支配下に置いていたが、父に嫌われたくなかった私は父親の理解し難い言動を幼少期から甘んじで受け入れていた。父がいなければ生きていけない。父を怒らせたら母のせいにされてしまう。私が父の言う通りに従えば丸く収まる。そう思って父の顔色を伺いながら長く生きてしまった。

親の顔色を伺いながら成長した子どもはがどんな大人になるのか、今ではさまざまな研究から明らかにされている。例えば「自分の気持ちがわからくなる」「自己肯定感や自己効力感が低い」「感情コンロトールが苦手」「不安症」という特徴を持った成人になりやすいとされる。

私の場合、長く「自分の気持ちがわからず」「自分の人生」を生きている感じが全くしなかった。何より私は長い間たくさんの嘘をついてきた。多くの嘘は、父の攻撃から自分を守るためだった。父も母も「嘘をついてはいけない」と私に徹底していたのに、私は嘘をつかなければ家庭で居場所を確保することができなかった。でも、自分を守るためについた嘘であっても、それはブーメランとなって私自身を深く傷つけ、私が私として生きることをどんどん遠ざけた。

「親が不仲」「親の情緒が不安定」「親が過干渉」「家庭が安心できない」という毒親が作る毒家庭で育つと、どれだけ成績や容姿や経済的な部分が満たされていても子どもは幸せにはなれない。世間的には「立派な大人になった」と思われていても、毒親育ちの子どもは大人になっても人知れず何らかの闇を抱えている。

留学、 就職、結婚でも抜け出せない毒親洗脳


そんな私が父から離れて自分の人生を生きるきっかけとなった大きな出来事が3つある。最初の出来事が「留学」、次が「社会人になって経済的自立を果たし、夫と出会い結婚したこと」、そして「出産」だ。中でもこの「出産」は決定的な出来事となり、私は産後1度しか父に会っていない。つまり今も絶縁している。

私の場合、父と絶縁するまでに、この3段階のステップが必要だった。

最初の階段が留学。留学は経済的には親の援助を受けていたが、一人暮らしをしたので、自分の「好き」にとことん向き合い、自分の価値観が父の価値観とは全く違うものであることをはっきり自覚した。そして父が私に望む生き方と、私自身が理想とする生き方には大きな隔たりがあることも確信した。

次の階段が就職。安定的に収入を得るようになり、兎にも角にも実家を出て自立。さらに自分の軸を強く育んでいった。やがて夫と出会い結婚。夫は私がそれまで私が付き合ってきた男性とは全く違うタイプだったが、なんの打算もなく心から好きになった男性だ。これは後から気づくのだが、私は今の夫と出会うまで「父が好きなタイプの男性」をあえて選び、無自覚で自分の好きを優先させることはなかったのだ。

夫と結婚することは出会ってすぐに決めていたが、入籍までに5年の歳月がかかった。若かった私たち二人が父から信頼を勝ち取るのに費やした歳月だ。おかげで結婚式の費用も、新居の費用も一円たりとも援助してもらうことなく(だから口も封じた)、私たちらしく二人の生活をスタートさせることができた。それでも、私は父のコントロールから完全に外れることはできなかった。出産した当日まで、私は父と母への「毎日のLINE連絡」は欠かさなかったし、向こうからも毎日連絡が来ていた。経済的に独立し、姓が変わり、住まいが離れても、精神的な呪縛を解くことができなかったのだ。

これも毒親育ちの成人にありがちだが、二言目には「お前のために」「娘のために」と言い続ける父親から私は根深い「罪悪感」を植え付けられており、「父に自分の気持ちを伝える」ことや「父と距離を置く」ことは「親不孝」であり「許されない」と自分で自分を縛り付けていた。そんな私を夫はよく見守っていてくれたと思う。

毒父からの脱出- 子を守る本能が私を救った-


これだけ強固に「罪悪感」を握りしめ、毒父から離れられなかった私であるが、出産が近づくにつれて、どういうわけか、父から離れなければならないと心が変わりはじめた。どんな動物も子を宿すと子を守るために攻撃性が増す傾向が見られるが、私も同じで、父が私をコントロールしようとするたびに、私は突然父に歯向かうようになったのだ。もういい子ではいられない。私は母親なのだ。今思うとそういう本能があったのだと思う。

やがて、我が子には決して同じような目に合わせたくない、合わせてはいけない、と考えるようになる。私も父の子どもである以上、それなりに横柄で独断的で暴力的な部分が引き継がれていると思う。それでもなんとかして「親による子の支配」という、ある意味昭和初期的な親子関係を私の代で根絶やしにすべきと本気で考えるようになり、これは今でも私の子育ての土台になっている。

「親だから」という理由だけで子どもを支配すべきではない。「親だからこそ、我が子と対等に付き合う」、私は我が子との関係性について心からそう望んでいる。

出産した翌日、父と母は産院に駆けつけてくれた。私の息子はとても小さく2600gで生まれ、ずっと泣いていた。父は「おめでとう」も「お疲れ様」も「よく頑張った」も「待っていた」も「かわいい」も言ってくれなかった。もちろん抱くこともなかった。

「こんな小さい赤ん坊、頭大丈夫か?」
「ずっと泣いてるけど、お前らが親で心配なんとちゃうか」
「とりあえず、これ。」と、御祝儀を小さなテーブルにポンと投げ置いた。

どういう心境だとこんなデリカシーのない言動ができるのか、今では知る由もない。でもあの時に、私の心は完全に折れた。さらにその数日後、詳細は控えるが父は更に許し難い暴言を私に吐く。退院後、私は泣き止まない小さい息子を抱き抱えながら、父に「もうお父さんに会うことは2度とありません、寂しい老後を送ってください。とても残念です」とLINEをした。

それ以降約8年、私は父と会っていない。

親を切ることで見える、本当の自分と向き合う勇気


私は特別なことは望んでいなかった。
ただ幸せな子ども時代を生きたかった。
いつも甘えさせてくれる父が欲しかった。
いつも味方でいてくれる父が欲しかった。
悪い部分、できない部分の私こそ見捨てないで欲しかった。
大人になって子ども時代を思い出した時に幸福感で包まれたかった。

でも父はそうではなかった。
できない私のことをとにかく罵倒し、時に暴力も辞さなかった。

子供の頃、緊張感はあったけれど私は父が大好きで、父を尊敬し、出産するまでは父と食事や旅行をするのも(毎回コントロールで憂鬱にはなるが)それなりに楽しかった。

でも私は、息子を産んで、父と絶縁した。

父のことは、今でも私の心に魚の小骨のようにもひっかかっている。拭い切れない罪悪感もある。とはいえ、息子を産んだことに1ミリの後悔もない。息子は私を本当の意味で自立させてくれ、強くさせてくれた。息子には感謝しかない。何より夫と夫の両親は「毒父」の存在を知った上で私を受け入れてくれたのだから感謝だけでは済まされないだろう。

毒親と縁を切っても、罪悪感を抱えている人も多いだろう。私もそうだ。

ただ、不思議なことに父と距離をとっている今の方が、私は父の良いところばかり思い出し、父に感謝の気持ちを持つこともできている。会わない方が父を好きでいられる。親を捨てたからといって、今のところ不幸にはなっていない。

「親不孝、親を捨ててはいけない」という呪縛や罪悪感、訳のわからない呪いは死ぬまで消えないかもしれないが、実際に不幸になることはなさそうだ。むしろ、最近の報道を見る限り、親を切れない人の方が不幸になっているケースが多いのではないか。親の考え方と自分の考え方を別にして、自分で立ち上がること。少なくとも私はそれでよかったと思う。今、毒親で悩んでいる人には勇気を持って前に進む選択してほしい。そして今子育てをしている同世代には、私も含め「毒」にならないような言動を心がけ、一緒に子育てを楽しみたいと願う。私の周りには案外「マイルドな毒親」育ちが多い。それでも多くの同志が「私たちの代でこれを終わらす」と話していて、それは希望だ。毒親とは団塊世代と言い換えられるのかもしれないが、それはまた別のところで書こうと思う。


※この雑記は2020年8月に書いたものをリライトしたものです
※上記のより詳しい体験記を含む、友人と作った毒親Kindle本はこちら(アンリミ会員は無料)


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