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ギャラリーを辞めてこの先どうする? 迷走期

通っていた通信制大学の卒業時期が明確になってきた頃、ギャラリーを辞めました。ですが、次に進みたい道が明確だったわけではありませんでした。

目の前のことしか考えていなかった

この頃、30歳手前。20代後半は通信制の美術大学に通い、仕事では新規事業の立ち上げもしていましたから、大変に充実をしていました。

そこに突然、ギャラリーから契約終了の相談があったのです。業績が低迷しているため、私が大学を卒業する頃に契約終了させてもらいたいという相談でした。

以前、せっかく正社員に誘っていただいたのを、学業を優先させるために断っていました。大学を卒業してから正社員になろうと、呑気に構えていた私にとっては、契約終了は寝耳に水。通達を受けたカフェで、人目も気にせずに大泣きしてしまったほど、びっくりして傷ついた出来事でした。

悩みましたが、卒業の半年前に退職することにしました。人件費を節約してもらい、少しでもお世話になったことに報いたい気持ちでした。

退職してしばらくした頃、リーマンショックが起こり、経済が低迷しはじめました。

ギャラリーの仕事で感じていた違和感

ギャラリーヤマネでは安定して居心地がよく、好きなアートに存分に触れられる環境で、当時はなにも不満はありませんでした。

ですが、いったん離れてみると、自分がいくつかの違和感を持っていることに気がつかされました。

取り扱い作品が高額すぎて、まだ20代だった私にとって、業界全体の商いが何か身近に感じられていませんでした。自分とは経済観念が異なるお金持ちばかりと関わる商売という印象です。自ら高額の作品を責任を持ってお客様に提案し、販売ができるとは思えていませんでした。

また、主軸がセカンダリーだったため、同世代のアーティストと出会う機会は、仕事を通じてはほとんどなかったことにも、違和感がありました。たぶん、私はもっと知りたかったのです。同世代のアーティストが何を考え、どんな生活をしていて、どんな想いで作品を作り続けているのか。

自分自身でその思いに気づけていたら、当時からいくらでもチャンスはあったのでしょうが、安穏と居心地のよい環境で好きな仕事と好きな勉強をしていた私には、そうした自らの好奇心に気づき行動に移すアグレッシブさも持ち合わせていなかったのです。

この先もアートの仕事をしたいと考えていました。ですが、どんな仕事を、どこで、どんなふうに、誰と一緒にしたいのか。職を失ってからもなお、ふわふわとしか考えられていませんでした。

職探しの日々

大学では学芸員課程を履修していました。大学の先生方や、実習先の職員さんが勧めてくれるので、学芸員を目指してみることにしました。いくつか学芸員試験を受けてみましたが、試験会場に集まる受験者は優秀そうな人ばかり。いわゆる「お勉強」が苦手な自分が受かる気が全くしません。そもそも、自分の中に学芸員になろうという気持ちや憧れが少なかったのです。

食っていくために、アート業界でなくてもよいから、とにかく何か仕事に就こうと面接に行くものの、「学芸員試験が受かったら辞めます」と、面接でもアートの仕事を諦めない私に、採用側もなんだか消化不良な顔をします。採用いただいた仕事でも、なんだかんだと理由をつけて断ってしまっていました。腹が据わっていない人間は迷惑でしかありませんね。

そうこうしているうちに、一人暮らしがままならなくなり、実家に戻ります。知人を通じて話があったフリーペーパーの制作の仕事を手がけはじめ、少し生活が安定してきました。その頃、ある現代アート施設の仕事の募集を目にしました。

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