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対話篇/戯曲ノート#2

対話篇に出て来る人たちは多かれ少なかれ謙虚で、僕とは遠い人物になるようにした。

対話をすることが良いことだと思っているけれども、お互いに出来るだけわかりあった方がいい、と実は僕は考えていない。こんなことを言うと訝しがられるからあまり口にしないが、時々「自己中心的じゃなさすぎる!」と誰かを罵りたくなることがある。あまりにも話が通じすぎて、社会に順応しすぎていて、そのひとの特徴が全く掴めないと、苛々する。だから「自己中心的だ!」と怒る人には本当に申し訳ないが、僕は自己中心的じゃなくなると輪郭が消えて不安になるので、ある程度自己中心的であることを保つようにしている。精神の安寧のためにどうしても必要なことなのだ。なるべく誰とでも快適な対話をしようと努めていた時代に、僕は壊れてしまった。その時の反省からそのようにしている。

誰とでも、わかりあう必要はなかったのだ。大切な何人かとわかりあえばそれで良かったのだ。触れてもいいし、触れなくてもいい。それでも対話することは、諦めない方がいい。

基本的な脚本は僕で、演出の得地くんが単語を変えたり順番を入れ替えたりしているところもあるという感じなのだが、ワンシーンだけ完全に得地くんのオリジナルで書いた部分がある。そこが最高にエモくて、最低にディスコミュニケーションだ。それを対話と呼ぶか呼ばないかで、そのひとの考え方の肝がわかるという踏み絵でもある。

皆さん、目を凝らして観て、どの部分かわかったらそれが対話だったのか考えてみてください。少なくとも僕は、対話だと思っています。

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