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厳しくされない時代における備忘録

厳しくされない時代。

正確に言うと他人に厳しくしてはいけない時代になったのだと思います。
残酷なことに結果が出てから、自分の実力が足りなかったこと、努力がたりなかったことに気付かされるスタイルの時代です。

厳しさの必要性を感じたら自分で自分に厳しくするしかありません。
そう感じてやりにくさを感じる将来有望な人たちはたくさんいるのではないでしょうか。
厳しさから得られる恩恵を知る機会が少ない私のために
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」に対する備忘録を書いてみます。

結局、仕事とは勝負なのです。勝とうとしなければ、勝てるわけがない。プロセスというのは、結果論で得られる副産物にすぎないのです。
結果を出せる人は、見た途端にわかります。目つきが違う。それは獲物を狙うようタカに厳しい。そこにプロセスを評価してほしいという甘えはありません。

私は獲物を狙うタカのようになれているだろうか。
確かに集中している人はスタンスから違うなあと感じることがあります。私が教壇に立つ時、必ずと言っていいほど、すごく睨んでくる生徒さんがいます。正直怖いです。しかし一瞬怯んだあと安心感を覚えるのです。こんなに優秀な学生に教えられるのは幸せなことだなあと。
このようなスタンスの学生は2・3年の単位ですごく良い結果を報告してくる確率が高いからです。

一方で目つきがいい学生さんの中でも内なる闘争心を持ってひたむきに学ぶタイプの人もいます。本人しかわからないものだと思いますが、その生徒さんからはタカのような目つきをしている学生さんと同じ希望を多々感じるのです。

改めて、貪欲に強い心を保って1分1秒過ごせているだろうか。と自分に尋ねるいい機会になりました。

努力するのは、自分であり、それを結果として評価するのは他人である。言葉すると至って当たり前だが、このことをわかっていないひとがとても多い。ここで「努力」という言葉を僕なりに定義し直すと、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」といえる。

結果にこだわりたいと考えている人は、最終的に善き結果にたどり着け合理的な思考プロセスを持った人なのかもしれませんね。
結果を評価するのは他人である限り、どれだけ努力をしたかは関係ありません。よって、プロセスを評価してほしいという考えが頭によぎった瞬間甘えが自分に出てしまうのではないかと思います。

それにプロセスへの評価を期待すると評価されない場合にがっかりしてしまいます。その瞬間モチベーションが下がり、動かなくなり、成果主義の人と差が開いてしまいます。最初から結果にこだわりたいと気合を入れている人は努力したこと自体に目を向けることもないはずです。

結果を出すための創意工夫は、はたからみれば「努力」かもしれませんが
その本人からすれば「過程」でしかなく失敗も成功も体験するのです。
こういう考え方を持ち続けることは大変ですが、考え方の習慣を変えなければ人生は変わらないと思っています。


時たま、どこまでやるのだろうという不安にかられることもあります。例えば、「今年が早くおわらないかなあ」と思ったりします。一年の業務目標を達成するには、あとどれくらい集中力を切らすことなく、頑張り続けなければならいあかを考えると大変さを想像できてしまうのです。
しかしこれは贅沢な悩みといえる
中略
逆に安定を求めはじめると回転が悪くなる。経営者の集中力が切れ、「これくらいでいいか」という妥協が生まれる。そうなると会社はどんどん衰退してしまう。 努力して成長し続けている会社は、外からみると、安定しているように見えるものです。でも、それは錯覚にすぎません。静止して見える独楽が、実際は素早く回っているようなものです。
少なくともビジネスにおいて、言葉通りの安定はないのだと思います。

私は会社に出社しない日(時間)というのがあり、集中力を保つことは非常に大変で、それはもう大変で、出社せずに仕事?をします。
会社に出社しない日に「頑張る覚悟」をするためです。会社にいると、どうも今日は社内がOOだったから。今日はOOな相談があったからと自分と向き合わない理由をつけてしまうとそのまま安定した忙しい時間を過ごしてしまいます。今年が早く終わってほしいと思う度に1度作業を止め、自分に「今年が早く終わってほしいから時間を消費するように過ごしていいわけがない。」と説教しにいくことにしています。

そしていつも気がつくことは、
今の現状は辛いけれど、ストレスで未だ髪の毛は抜けてないし、湿疹も出てない。多分これはまだ努力ではないのだろうという自分には厳しい事実です。

もちろん運良く出会いと機会に恵まれ、総じて楽しいですが、
「今年が早くおわらないかなあ」は共感します。(まだ3月笑)

僕自身の人生を振り返っても、自分が成長したと感じられた時は、大抵たくさんの憂鬱がつきまとっていました。大事な社員が辞めた時、業績を下方修正した時、初めてテレビに出演した時、大人数の前で公演した時…。初めての仕事に挑戦する時にはいつも憂鬱を感じますが、それを乗り越える度に新しい「経験」を手に入れることができます。

今の現状とすり合わせながら次の日のスケジュールを確認する瞬間、足の指先に力が入る人いませんか。地面をぎゅっと掴んで、なんとも言えない重圧に心を慣らして明日のスケジュールを冷静にイメージする時間があります。

私は明日を乗り越えられるだろうか…こうやってつぶやいて寝たことは数え切れません。それでも向き合いたいと思って頑張って目を閉じます。生徒の成長に、勝負に、業界の発展とよりよい環境のために。

不安に飲み込まれながら、明日の覚悟を決め毎日寝床につくのです。
これも必要なプロセスだと…言い聞かせていたのですが
それは自分が成長するための養分だと考えるのも良さそうですね。

メンタル衛生はいいとは言えないと思いますが
こういった日々を過ごすこと=挑戦(挑戦って言葉だけきれいで本当は泥臭いですよね。)する姿を見せることは、私は不安で不確実な世界に飛び込む(飛び込んでいる)学生へのプラスにもなるだろうと思っています。

泥臭く頑張る・最後まで諦めない・向き合い続ける毎日が、
努力であり、挑戦であり、栄光の架け橋だと信じています。


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