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小説家の小説よりもエッセイが好き


こんにちは。クラシックギタリストあやたかです。

小説家のエッセイを読むのが好き。
小川糸、森博嗣のほとんどのエッセイを読みました。

一方、お二人の小説は1,2冊読んで断念。

もともと私はあまり小説が得意ではないようです。


小川洋子の小説はいくつか好きなものがあります。
『やさしい訴え』や、もちろん『博士の愛した数式』など。

ただ、小川洋子のエッセイはあまり読みすすめれなかった。


不思議なものです。


そしてただ今ブームなのは、遠藤周作。

渋いと思いました?

『沈黙』とかね。
読んでないのですが。。

でもね、
YouTubeで遠藤周作が実際に話している動画を見たことがきっかけで、
「何だ、このお方、面白そうなお人なのね」

と思ったんですよ。それで、さっそくエッセイを購入。


『ぐうたらシリーズ』というエッセイを読んでいます。 


いやはや、面白い。というか、共感。
背表紙を要約すると「力を抜いて、気楽に生きる、ユーモアエッセイ」といった感じ。


小川糸のエッセイは共感するというよりも、素敵な暮らしだなぁ、とぼんやり読めて好きだった。

森博嗣は、自身は少数派とはっきり発言されるお方で、人が得意じゃなくても、時間を守らない人に厳しいところとかも、
自分基準で良いんだよねと私もなんだか自信が持てた。

さて、遠藤周作のどこに惹かれるかというと、

わたしが常日頃「こんなこと思ってる私って、いけない子だぁ」と負担に感じることを、堂々とエッセイに書いてしまっているのです。

53年前に刊行された本なのに、ほとんど同じことを思っている。いや、遠藤周作の方が、私の1.5倍くらい分厚く皮肉に思っている。

ああ、私はまだ症状が軽いのかなと錯覚できる。
はたまた、世の中のすべての人にも、わたしと同じような不憫を心の中に抱えているのかもしれないなと、安心するのです。

例えば、
「人生とは退屈なり」

とか。
やったー!と思いました。

なんだか、楽しまなきゃとか、そういった風潮があるではありませんか。

そうだよね、別に無理に楽しもうとしなくていいよねって。

例えば近頃よくありそうな『人生をポジティブに生きるための7つの習慣』とか、
別にポジティブじゃなくても良いじゃんって。


『世の中にも人にも役に立たないようなことをしたいとつとめた』とも遠藤周作はエッセイでおっしゃっている。これをニヤニヤしながら公共交通機関で読む私。「ありがとうございます」と、感謝の気持ちが広がる。

しかし、真に受けてはいけない。
遠藤周作のエッセイは、私のような人にとっては役に立ってしまっている。
頭が良い小説家なので、すべて計算済みでおっしゃっているのかもしれない。

遠藤周作のいうように、ほんとうにぐうたらしていたら。。

森博嗣のように、「なにごとも一生懸命やらないことにしている」の意図を吐き違えたら。。


安心したいがために読んでいるエッセイは、
似たもの同士を集める。

しかし、私はお二人に出会えてよかった。
そしてお二人のおっしゃってることも話半分に聞けば良いと言うことを、お二人からすでに学んでいる。

大きな流れに乗れないという理由だけで、
自分の考えや気持ちを曲げる必要はないと。


まあでも、遠藤周作の小説も一冊くらいは読んでみた方が良いですな。


高橋彩華


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