卒業式まで、あと1週間。

「に、日曜の夜くらい、は……う、そでもいいので……その……こいびと、で、いたいです……」
 私が思い切って告白すると、電話の向こうで相手の息をのむ音が聞こえた。
 卒業式まで、あと1週間。

 私、川村みなみは今、恋をしてはいけない相手に恋をしている。
 相手は化学担当の教師で、今1年生の弟の担任も持っている中島先生。
 1年生の夏休み明けという変わった時期に転校してきた私は、昔から人見知りが激しいのもあって、友達を作ることができずにいた。最初は転校生だからと、前の学校はどうだったか、何が好きか、部活は入っていたかなど、色んな人が話しかけてきてくれたのだが、周りの圧に負けてパニックになり頭が働かず、うまく受け答えすることができなかった。
それから、感じが悪いだの、つまらないだのと言われるようになり、誰も話しかけてくれる人がいなくなってしまい、ぼっち生活確定になった、というわけだ。
 けれど、そんな私に優しく声を掛けてくれた先生がいた。
 それが中島先生だ。
 彼は私の苦手な化学担当の先生で、授業終わりに私の解けなかった問題を分かりやすく解説してくれたのをきっかけによく話すようになった。休み時間に準備室に行ったり、放課後に勉強を教わったり。先生と授業以外でかかわる事が増えていったのはこの頃から。
 何度も同じミスをしても優しく教えてくれる先生に、声のトーンに、居心地の良さを感じていたのもきっとこの頃からだろう。
 毎日のように勉強を教わったり、たまに勉強以外の話をしたりして過ごしていれば、恋に落ちるのにそう時間はかからなかった。
 けれど、教師と生徒は世間上あまり良い関係とされていない。
 私の通っている高校では、過去に教師と生徒で付き合っているのがバレて、相手が未成年だったために教師を辞めさせられたという事件があったらしく、それ以降、教師と特定の生徒が一緒にいるところを見かけると声を掛けられることがあるらしい。
 けれど3年間もずっと一緒に放課後に勉強したりしていて、何も問題が起きていないので、もう大丈夫な気がしてきている。それに卒業式まであと少しなので、きっと平気だろう。
「し、失礼します……。先生、いますか……?」
「あ、川村さん。今日って試験の結果出る日だっけ」
 私は放課後に勉強を教わっていた化学準備室に向かい、扉を開けると先生がお茶を飲んでいるところだった。ここ座っていいよ、と促されるままに私は椅子に座り、カバンからファイルを取り出した。
「は、はい……。その、先生にはずっと勉強を、見てもらっていた……ので……。さ、最初に、知ってもらいたくて……」
「ふふ、ぼくは教師としてやることをやっただけなんだけれどね。最終的に頑張ったのは川村さんだから」
 先生は優しい。とにかく優しい。だから好きになった。
 ――いや、なってしまった。
 上手く喋れなくても、何度も同じミスをしても、淹れてくれたお茶が苦くて飲み切れなかった時も、先生は笑顔で返してくれる。
「……理科の点数、すごい上がったね。今までにやった過去問とかでも、こんな点数なかったんじゃない? ……相当頑張ったんだね。えらいよ」
 結果を見た先生は、私の頭を撫でて子供をあやすみたいに、えらい、えらい、と繰り返していた。
 好きな人に頭を撫でられ、褒められるのは嬉しい反面、少し恥ずかしくていたたまれない気分になる。
「……っあ、ありがとう……ございま、す……」
 顔が赤くなっているのを見られたくなくて、先生から視線を逸らす。一瞬先生の手が止まったがすぐに手を動かし、くつくつと喉を鳴らしながら笑っていた。
「~~~~っ」
「ふふっ、可愛らしい反応をするんだね」
「う、るさい……です……。慣れてない、んだから……しかたない……です、よ……」
 私がなんとか反撃するも、先生は眉を八の字にして笑い続けた。
恥ずかしい、けど、そんな風に笑う先生も好きだから、怒ろうにも怒れない。恋とはいかに厄介なものなのかと、改めて実感する。
「そうだ、試験を頑張った川村さんに、何かご褒美をと思っていたのだけれど、欲しいものとか、あったりする?」
 先生はようやく私の頭から手を離し、戸棚からクッキーの入った箱を取り机に置いてくれた。一緒に取り出していたティーパックは甘くて飲みやすいと話題の紅茶のものだった。苦いのが無理だということを覚えていてくれたことに心臓がきゅんと鳴った。
「ほ、欲しいもの……」
 先生が欲しいなんて言えるわけもなく、なんとかして頭をフル回転させる。
 先生以外に欲しいものなんてない私には試験よりも難しい問題かもしれない。連絡先、はきっとダメだろうし、メイクやおしゃれに関しては高値の物が多いから頼みづらいし……。
「そんなに高価なものはちょっとぼくの給料じゃ厳しいかもしれないから、手軽に買える物、とかだと助かるかな。ごめんね聞いておいて」
「あ、いえ……。えっと、い、今すぐには決められない、ので……帰ってから考えます……」
 そう言うと先生は、紅茶を机に置いて分かったよと返してくれた。
「決まったら写真とか送って……」
「……先生?」
 向かいの椅子に座った先生が、何かを言いかけて止まってしまった。声を掛けると、先生が机に置いてあった携帯を手に取って画面を操作し始めたので、私は先生の行動に理解ができなかった。そして暫くして私に画面を見せるため携帯をこちらに向けてくれたのだが、そこに表示されていたQRコードに、私は更に困惑する。
「……? これは何の……」
「ぼくの連絡先。みんな使っている無料のトークアプリがあるでしょう? あ、川村さんがやっていなかったら電話番号でも…」
 ――先生の、連絡先。
 その単語を聞いた瞬間、私の思考は停止した。
 私の心を読んだとか、そうじゃない。きっとたまたまだ。でも、嬉しいと感じてしまう。
「………あ、ありがとう、ございます……っ」
 先生にその気がなくても、私にとってこのアカウントは一生の宝物になるだろう。
 早速私もアプリを立ち上げて先生の連絡先を追加した。帰ってから改めて何かメッセージを送ろうと思いカバンにしまおうとしたら、先生からスタンプが送られてきた。犬のキャラクターのもので、よろしくと書かれた可愛らしいそれに、私は思わず笑ってしまった。
「んふ…っ、はは…っ」
「え、なんで笑うの」
「す、すみませ……っ、その、せ、先生が犬の可愛いスタンプを使うイメージが、なかった、から……っ」
 私は一度ツボにハマってしまうと抜けられなくなる性分で、暫くの間笑っていた。
「……そんな風に笑うんだね。川村さんって。はじめてみた、かも」
「そ、そうですか…?」
 目を細めて、初めて喋った我が子を見つめるような視線を向けられれば、落ち着きを取り戻していた心臓が、再び慌ただしく動き始める。
「うん。ぼくといるときは、なんかこう……緊張してる? ような感じがしてて。まぁ誰だって目上の人と喋る時は緊張するものだけれど、3年間もこうして2人で話したりしているのに、まだ緊張してるみたいだったから……。なんか、そんな風に楽しそうに笑う川村さん見れて嬉しいな」
 ふふ、と柔らかく微笑む先生を直視できずに私はまた視線を逸らしてしまった。
 今日は土曜日で、受験の関係で来ている生徒を除けば、ほとんどの生徒は休みでいない。部活も珍しく全て休みのようで、静かである。
 ドクン、ドクンと私の心臓の音が先生に聞こえてしまわないか、気が気でない。いや、そんなことは実際にはないのだが、今なら少女漫画のヒロインの気持ちが分かる気がした。
 私たちの間に沈黙が流れる。きっと私が何か返さないといけないのだろうが、頭が真っ白になって何も出てこない。今日は特に寒い日だと朝の天気予報で言っていたのに、今は暑くて仕方がないのは、今まで以上にドキドキしているから。意識すればするほど鼓動の音は大きく聞こえてきて、焦る。
「……困らせるようなこと言って、ごめんね。でも、川村さんには笑顔が似合うから、笑っていればきっとこれからいいことがたくさん訪れると思うな」
「あ……」
 私が黙ってしまったことで、先生に謝らせてしまった。
 違う、そうじゃない、と言いたいが震えて声が出ない。
「……せ、んせ……」
 キーンコーンカーン――……。
 私がなんとか口を開いたらその瞬間にチャイムが鳴り響いた。
 この学校は休みの日にも部活があるから、時間が分かりやすいようにチャイムを付けたままにしているのだと、放送委員の先生が話していたのを思い出した。
「……今日は報告ありがとうね。この後の天気、あまりよくないみたいだし、早めに帰るといいよ」
「……わ、かりました…」
 そのまま私は化学準備室を出てどこも寄らずに生徒玄関へ行き、帰路についた。

「ごちそうさまでした。ありがとうお母さん、お父さん。それに圭太も」
「合格してよかったわ~」
「よく頑張ったな。ゆっくり休みなさい」
「うん。そうする」
「お姉ちゃんお疲れ~」
 あの後、傘を差しながら雪降る中1人で歩いて家まで帰ると、お母さんたちはご馳走の準備をしてくれていた。父はケーキを買ってきてくれていて、何度も合格おめでとうと褒められた。寒いからとお風呂も沸かしてくれていたようで、夕飯までの間ゆっくりと湯船に浸かることができた。お風呂から上がったらすぐにご馳走が食べられるようになっていて、至れり尽くせりである。
「……ふぅ。ちょっと食べ過ぎちゃったかな」
 何となくベッドに腰かけ、携帯を見ると親戚の叔母さんから、おめでとうのメッセージが来ていた。返信するためアプリを立ち上げると、一番上に先生の名前があり一瞬心臓がトクンと鳴った。
 私の携帯は、メッセージの受信した順に名前が表示されるようになっているので、通知欄には叔母さんたちからのメッセージが上に来ていたために、勝手に親戚の人たちだけだと思い込んでいたのだ。
「……さ、先に叔母さんたちのを返さないと……。え、えっと……」
 先生からのメッセージにすべてを持っていかれ、覚束ない手つきで文字を打っていく。
「き、北町の叔父さんからも来てる……。えっと、ありが、とう……ございます。来年からは――」
 メッセージを入力終わり、誤字が無いか確かめてから送信する。そして先生からのメッセージのみが残った。
「……ど、どうしよう…」
 内容は教室で話していたご褒美の件だった。卒業式まであと少ししかないので、それまでに渡せたら、という旨のメッセージが書かれていた。
「……はぁーー……」
 一度深く深呼吸をして、ベッドから立ち上がり椅子に座り直した。何となくだがこっちの方が落ち着く気がしたのだ。
 もう一度先生からのメッセージを読み直し、欲しいものを考える。
「きっと少女漫画なら、ここで先生が欲しいとか言って、卒業後に付き合ったりするんだろうなぁ……」
 試しに『先生が欲しい』と文字を打ってみて、ダメだと首を横に振り文字を消す。
 ところが――。
「しまっ……!」
 消している途中で指が滑り、『先生』だけが残ってしいまい、そのまま送信されてしまった。
 すぐに取り消そうと思ったが既読が付いてしまい、どうしようと慌てていると今度は電話がかかってきて、私がパニック状態になったのは言うまでもない。
『……もしもし? 川村さん? えっと、今の返信の意味を教えてもらえるかな……?』
 いつも聞いていた声が耳元で聞こえることに、全身に熱が集まる。1人しかいないのになぜか周りをキョロキョロと見渡してしまい、小さく息をついてから再びベッドへ戻り、布団の中へ潜った。
「……ぁ、っと……その……ま、まちがい……と言いますか、その……」
『間違い、か……。まぁ誰にでもあるよね。……それで、えっと、欲しいものは何か思いついた?』
 そのまま誤字の話から欲しいものの話に移りそうだったので、布団から顔を出して、寝転がりながら電話に応じた。
「え……っと、まだ……ちょっと……」
『ごめんね。困らせている、かな……? 強制ではないけれど、でも、一番近くで見守っていた身として、なんかお祝いしてあげたいなって思っただけで……』
 家族でも何でもないのに。ただの『教師と生徒』の関係なのに。それでも、先生は私の合格の知らせを知って、お祝いしたいと、何かご褒美に買ってあげると言ってくれている。
「……あ、の……」
『ん?』
 今日だけで色々なことが起こり過ぎた。
 だからきっと、こんなことを言ってしまうのは、疲れのせいだ。
 そう。疲れているからだ。
「に、日曜の夜、くらいは……うそでもいい、ので……こいびと、で、いたいです……」
『……っ』
「……あ、した……。月曜から、またがんば、れる気がする……ので、日曜のよる、くらいは……」
 言ってしまった。けれどもう後戻りはできない。ぎゅうと目を瞑り、先生の返事を待つ。けれどどれだけ待っても先生は何も言葉を発さない。
 やっぱり、ダメだったのだろうか。
 指輪を付けていないから結婚はしていないのだと思っていたが、恋人は普通にいるのかもしれない。勝手にどこかで、先生も私と同じ気持ちなんたって、そう思っていたが、よく考えれば分かる事だった。
 なんて愚かなのだろう。私は。
「……ぁ、えっと……せ、んせ……」
『………ごめん。それはちょっと無理、かも……』
「――――っ」
 私が声を掛けると、ゆっくりと先生は断った。
 分かっていた。最初から私なんて、ただの生徒なんだって。知ってた。でも、気づかないフリをして、勝手に舞い上がっていたのは、私だ。先生は何も悪くない。
 でも――。
「……っ、ひっく……ご、めんなさ……っ、え、えっと……ずっ……あの……わ、たし……っ」
『ち、違う違う! まって、ぼくの話聞いてっ』
「……っ?」
 断られたことにショックを受け、どうしたらいいか分からずに泣き出してしまった。すると電話の向こうから焦ったような声が聞こえ、私は一度布団から出てベッドに座った。
『……えっと、勘違いさせるようなこと言って、ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんだ。っと、その……。ぼくが無理って言ったのは、日曜だけ、恋人になるってことであって……』
「……? ど、どういう……」
 話を聞いてもいまいちよく分からなかった。
『えっと、だから……。ぼくが、我慢できないんだ。……日曜だけだと』 
待って待って、それって――。
『……こんな形で言う予定じゃなかったんだけれど、聞いて欲しい。……っぼくはきみが――』
「わっ……まっ……え、あ、え……?」
 大混乱である。
 無理ってそういう意味だったのかと、理解してはまた顔に熱が集まり、のぼせた時みたいな状態になる。
「~~~~~~っ!!」
 声にならない悲鳴を上げて、足をばたつかせたり、横に倒れ込んだり。
『……ほんとは、卒業式の日に言うつもりだったんだ。ぼくたちはまだ教師と生徒の関係だから。でも卒業したら、ぼくは教師のままでも君は生徒じゃなくなる。だからそのタイミングを伺っていたのだけれど……ふふ、先を越されてしまったね』
 そういう先生の声は、少し震えているような気がした。
 先生も私と同じくドキドキしているのだろうか。緊張しているのだろうか。……声色は変わらずともほんのちょっとだけ早口に聞こえるのは、そういうことなのだろうか。
 そう思うと途端に逢いたくなってしまい、きゅうと心臓が締め付けられた。けれど今すぐになんて無理な話で。
「……早く、明日にならないかな………」
『……ふふ、逢いたい?』
「え……?」
『明日は月曜で学校にくれば逢えるから、そういう事かなぁと思って』
 まさか頭で思っていた事が口に出ていたとは思わず慌てて訂正するも、先生は笑ってそれを許さなかった。
 何か話題転換をと思考を巡らせていると、車のエンジンがかかる音がした。
「……あ、先生……外出中、でしたか……?」
 車のエンジンが、と言うと先生はあぁ、と説明してくれた。
『たまたま昔の同級生と会って、飲みに出かけていたんだ。ぼくは運転係だから飲まなかったけど。で、たまたまその店が君の家の近くでね』
「………へ」
 私が声を発したと同時に外からバン、と車とドアが閉まるような音がした。慌てて部屋のカーテンを開けて見てみると、車の前で先生が手を振っていた。
 固まっている私に先生は話を続ける。
『……このまま帰るつもりだったけれど、君があんな可愛いこと言うから、我慢できなくて来ちゃった』
 来ちゃった、じゃない。
 飲みに出かけていたなら夜、外にいてもおかしくはないが、食事をしていた店が家の近くだったなんて、そんな偶然……。漫画の世界ならあり得るかもしれないが、現実世界では考えにくい。可能性がゼロというわけではないのだろうが……。
「は………え、まっ……あのっ……」
 少し待っていてください、となんとか伝えて、電話を切った私は上着を羽織って外へ向かった。リビングは電気が消えていたので、みんな寝ているのだろうと思い静かに玄関のドアを空け、先生の元へ走る。
「はっ……ぁ…あ、ああのっ…!! なんっ……えっと……そのっ……」
「ごめんね、急に。お店を選んだのは同級生の方なんだ。この辺に住んでるらしくてね。そして酔い潰れた彼を送って車に戻ったら君からの返信が来て、今ここってわけね」
 寒いし車の中に入って話そうよ、と言われ、暖房のついた暖かい車の中で先生と少し話すことになった。車内はいい匂いがしたが、気にしたら正常じゃいられない気がしたので気にしないことにした。
「……過去に教師と生徒の間で事件があったことは知っているよね」
「あ、は、はい……。話している、生徒さんがいたので……」
 そう返すと、先生は自分の首に巻いていたマフラーを外し、私の首に巻き付けた。
「……だから今は、さっき君が言った通り、仮の恋人としていよう。それで1週間後、卒業したら……正式に、ぼくとお付き合いしてくれますか……?」
 しゅる、とマフラーを巻き終えて、先生は私の目を見つめた。
「……はいっ……!」
 マフラーが先生の匂いするとか、巻いている時に指が触れた頬が熱いとか、そんなことを考える余裕なんてなくて。
 一瞬の沈黙が流れた後、先生が助手席の背もたれに手をかけてこちら側に体勢をずらしたので、私も先生の方へ体を動かすと、そのままどちらからともなくキスをした。
 暗い車内でのファーストキスは、私にとって一生思い出に残るだろう。
「……愛しているよ。みなみ……」
「ぁ……え、あ……わっ、わたし……も……」
 恥ずかしくてそれしか言えなかったけれど、先生は笑って抱きしめてくれた。
 卒業式まで、あと1週間。

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