きっかけ。

お引越しって新しい生活が始まるんだ、となんだかワクワクしますよね。
私は人生で6回ほどお引越しを経験しているのですが、今回は人生で初めてのお引越しについて少し聴いていただけると嬉しいです。

前回の記事で書いた様に私は生まれてから幼稚園卒園までは田舎の方のアパート住まいでした。
一階に住んでいたのでお菓子を食べているとベランダからアリが入ってきたり、また
ベランダから外に出てよく怒られたりもちょこちょこありました。

正直、引越し前後の記憶はないのですが、思い出そうとすると「新しい生活が始まれば、きっと両親も仲直りしてくれるはずだ。」と期待に胸を躍らせていた気持ちを抱くので、きっとそうだったんだなあと勝手に自己補完してますwww

今振り返ると幼すぎてあまり記憶が残っていない事も相まって、この時期が家族として一番幸せに近い状態だったなあとは思うんですけどね…。

そんなこんなで私は幼稚園を卒園し、新しいお家と小学校入学という今までとは全く違う生活が始まりました。
勿論お家の中でも全く新しい生活が始まりました。

父のdvが本格的に激しくなり始めたのです。

素直な気持ちを吐露すると「まじかー。」の一言に尽きますw
短距離のトラック運転手だったはずの父が家にあまり帰ってこなくなったので、父はこの頃に長距離ドライバーへと転職していたのかもしれません。そのストレスもあって父の暴力は激しくなってしまったのかもしれませんね。

この頃から私は空想しがちになりました。
毎日下校時には「帰ったら父と母が仲直りしていて、別人の様に優しくなっていますように。」「今まで喧嘩ばかりでごめんね。」と抱きしめてもらえます様に。」
なんてことを考えながら毎日下校していましたし、家が近くにつれて「せめて今日はお父さんが帰ってきません様に。」「お願いします。」と思いながら毎日家のドアを開けていました。
母から「今日は父が帰ってこない。」と言われた時の安堵感は今でも生々しく鮮明に記憶に残っています。

父が帰ってこない日は母は私に色々な話をしてくれました。
母の幼少期の辛かった気持ち、幸せな家庭を築きたい気持ち、そして父のことがとても好きだという気持ち。
私にいろんな話をしてくれる事が嬉しくて、私はどんな話でも喜んで聞きました。
読み書きを覚えるのが早く、読書が好きだった私は、自分に考えられる選択肢の中で一番母が喜んでくれるであろう最適解を常に返しました。
大好きな父に暴力を振られて悲しんでいる母の心を少しでも癒せたらと精一杯努めました。

完全な共依存ですねww
笑ってしまいますw
初めてアダルトチルドレンを知った時、初めて共依存という言葉を知った時
「ああ。これが私を苦しめ母を苦しめていたんだなあ。」と心の中のわだかまりが取れた気がしました。

ですがそれでも、父がいない家族の時間は私にとっては穏やかで幸せな時間でした。
わたしが求めていた平穏な日々がそこには確かにあったような気がします。
それがたとえ歪んでいる幸せだったとしても。



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