「できない」が価値になる
「できない」より「できた」方がいい
普通、こう思いますよね・・・?
子どもが生まれた時から
知らず知らずのうちに
月齢相応、学年相応に
「これができるようになる時期」
という標準と比べて
周りの子と比べて
「うちの子はできていない」
と心配になったことは
数えきれないくらいあったと思います
「個人差ありますから~」
と、慰めてもらっても
「でも、できないよりは、できた方がいいよね」
と、思ってきた自分がいます
前にも書いたように
私は自分自身に対しても
「できないと思われるのが死ぬほどイヤ」
と感じるタイプです
その恐れから、
「できないこと」を「できるように」する
努力もしてきましたし
散々努力しても上手く行かない分野は
あっさりと見切って
「ここは、私に向いていない」
と、割り切るところも
結構ハッキリしています
(勝てないところでは勝負しない、笑)
だから、基本的に、今までも
「できること」を評価されてきたし
(そういうところにしか身を置かない)
「できること」をどれだけたくさん持てるかが
強みだと思ってきたところがあります
ところが・・・!
最近になって
私の「できないこと」に
価値が見いだされる経験に
度々遭遇しています
繰り返し、このnoteでも漏らしていますが
「休みたいの休めない」
「緩めたいのに緩められない」
自分でも、ここから抜け出せないウダウダ感には
結構うんざりしています、、、><
しかも、努力で解決できる感じでもない、、、
なぜ、できないのか・・・?
それを自己探求して、このnoteの場でも
その経過を発信したりしていますが
ある方に
「緩急つけて休めばいいじゃん、その方がいざという時にパワーを全開にできるよ」
と言われて
「でも、なかなかできないんですよ、、、なぜなら○○・・・」
と、半ば自分自身にがっかりするような心境で語っていたんですね、、、
そうしたら、その方から
「あ~、なるほど! 同じように進めなくなっちゃう人をたくさん見てきたけれど、なんでそうなっちゃうのか、自分には実体験がなかったからわからなかった。でも、そういう気持ちとメカニズムなんだ!めちゃくちゃ解像度上がった!!そこの部分の言語化がすごく助かる!」
という反応が返ってきて、驚いたのです!
私としては、もう、「できないこと」に引け目を感じていたし
このグルグル停滞していること自体は、できれば体験したくないと思うくらいだったので、、、
こうして苦しんでいる体験が誰かにとって価値になることがあるのかぁ
と、とても不思議な感覚になったのです。
私も、我が子に対して
「なんで、こうすれば簡単なのに、それができないの?」
ということを散々思って、イライラしていた時期があったけれど
子どもはそこの「なぜ?」を言語化できるわけではなかったので
その当時「通訳者が欲しかった~!」
と、今更ながら思ったりします、笑
『exit 消耗ループ=消耗ループから抜け出して軽やかに生きていく!』
最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?