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時短営業3年目のコンビニ〜24時間営業だった頃②〜

 前回の記事では、他のコンビニの大多数と同じく24時間営業をしていた当時の当店の状況について、「販売数値の状況」と「職場環境の状況」について書きました。

 今回の記事では、「売る力の源泉」、「世の中の価値観の変化」という2つをポイントに、当時の当店の状況を書きたいと思います。


1.売る力の源泉

 
 「客数依存」
 
 コンビニに限らず、どんな商売であってもその販売力を支える原動力、「源泉」というものがあると思います。「強み」と言い換えることも出来るかも知れません。

 それを「業態ごと」にあるものと、同じ業態の中での「個店ごと」にあるものとに大別し、後者の「個店ごと」の源泉に注目してみたいと思います。

 
 24時間営業時の当店の「売る力の源泉」はいくつかあったと考えていますが、その中で最大のものを1つだけ選ぶとするならば、それは「客数」だったと思います。

 「立地」「駐車スペース」「品揃え」などのハード面から、「接客」「自店調理品の品質」「売場の作り込み」「店内のクリンネス」などのソフト面まで、販売額に影響を及ぼすポイントは沢山あります。


 前回の記事でも書きましたが、当時の当店の販売数値はまずまずだったと認識しています。「立地」的にも当たりでしょう。また、ロードサイドという立地であるため「駐車スペース」も十分な広さが確保されており、さらに売場の商品のボリュームを重視する経営者の方針もあり、「品揃え」については特に「量」の面において高いレベルを維持していたと思います。

 一方で、「人手不足」が深刻な状況であったことも、前回の記事で書きました。「店を最低限回すことが経営上の最優先課題」とせざるを得ない状況の中で、「接客」や「自店調理品の品質」、「売場の作り込み」といったソフト面については、もちろん一定のレベルの維持に努めていたとはいえ、結果として優先順位を下げざるを得なかったというのが、率直な認識です。


 以上の事を踏まえ、当店の販売数値が当時まずまずだった理由、つまり「売る力の源泉」の最も大きかったものは、「客数」だったと結論づけています。

 

 ・・・その客数が、特に大きな「マイナスイベント」も無い中で、「右肩上がり」から「頭打ち」を経て、「右肩下がり」に、徐々にゆっくりと転じ始めたのでした。


2.世の中の価値観の変化

 
 「大阪の人」

 「毎日残業をし、プライベートの時間を犠牲にし、そして会社のために身を粉にして働いていれば、最後には報われる」

 両親が経営するコンビニで働き始めるまで、私は勤め人をしていました。上に書いたのは、当時の私の「仕事に対する価値観」を簡単に表したものです。

 ・・・もしかしたら、そう自分に思い込ませることで、「自分に合っていない仕事」をする毎日を何とか生き長らえようとしていたのかも知れません。


 今の私の価値観はと言うと、変わりはしたのですが、180度ではなく90度変わりました(笑)

 
 個人の価値観が変化する、そしてその変化が、社会全体に広がっていく。「価値観」というものは、時代によって変化しますね。

 どんな風に変化しているか簡単には表現できませんが、フランチャイズのコンビニの話で言えば、「こんなに働かせて本部は利益だけ取っていく本部クソ野郎」という意見に対して、「だったら辞めれば?好きで始めたんでしょ?契約結んだんでしょ?」という反論があったとすると、「ん?その反論正しいの?なんかおかしくない?」と感じる人が増えた・・・と表現出来るかも知れません。

 「お金を払って商品を買ってくれるお客様は神様」とか、「お給料を貰って働いているお店のために頑張るのは当然」とか・・・そんな言葉に「ん?ちょっと待って?」と感じる人が増えたとき、個人の価値観の変化が社会全体に広がっているのかなと思います。


 そんな「価値観の変化」は、当店の経営において関係の無い話では無いはずです。なぜなら、当店を利用して下さるお客様も、当店で働いてくれるスタッフも、同じ時代を生きている人達なのですから。


 24時間営業を辞める直近の当時、そのような「個人」の価値観の変化が「社会全体」の価値観の変化へと広がっている事を感じていました。そして、いわゆる「大阪の人」が、テレビ等を通じて大々的に報じられました。


 私は当事者ではありませんので、「大阪の人」と「本部」のどちらが正しいのか、論じるつもりはありません。ただ、今にして思えば、あの話題がマスコミ等で大々的に報じられること自体、変化が社会全体に広がっていることを証明していたとも言えるでしょう。そして、あの話題は「始まりのきっかけ」ではなく、「最後のダメ押し」だったという認識です。

 

 結果として、人工的に堰き止められていた様々なモノが、流れ始めました。24時間営業を辞める、つまり「時短営業」への道も、選択肢の1つとして、この少し後に開かれました。


 当店が、「24時間営業を辞める」という選択に至る前の直近の状況は、このような「世の中の価値観の変化」が目に見える形で押し寄せてきた、その最中でありました。




 それでは今日はこの辺で。

 このクソッタレな世界で戦う皆様と明日もともに。

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