夏のひまわりのような人にはなれない
「今日も外は暑そうだなぁ」
カーテンを開けた窓から差し込んでくる朝日は無意識の穴をこじ開けるほど強力で、ジリジリとした熱と光で私を呼び起こした。
朝日が差し込む窓の外には、数ヶ月前まで家が建っていた。しかし、隣に住んでいた大家族はいつの間にか引っ越していて、それを機に取り壊された家の跡地はたちまち駐車場になった。私の家は眩しい朝の太陽の光が差し込む家に早変わりしていた。
朝起きると最初にすることは顔の近くにあるはずのスマホを見ること。だけどその日は見当たらず、布団やベッドの下をごそごそと手で探ってようやく見つけた。
時間は午前7時32分。
ぼやっとした視界のなかニュースやLINEのメッセージ通知を流し見ると、カメラマンである父からLINEが届いていた。
「今日ちょっと、🌻を撮りに行くつもり(^ω^)♪」
還暦をとっくに過ぎている父は、なぜかこのような顔文字をよく使う。が、私は一度もそれに対して突っ込んだことはなく、父も相変わらず当たり前のように送ってくるのだった。
「こういう顔文字使い始めたのっていつからだろう」ともやもやした頭で思いながら「私も行く」と返事をしたあと、「じゃあ11時に迎えに行く」という返事がきた。
とりあえず、それまでにごはん食べて朝できる仕事やってしまおう。
用事をあらかた済ませたら、カメラの電池の充電を確認したり暑さ対策の準備をする。ふと時計を見ると、すでに家を出る時間を過ぎていた。
待ち合わせ場所に6分遅れで向かうと、父の車が待っていた。
私「おはよう〜」
父「おつかれ〜」
気の抜けた挨拶をするとすぐ、車は動き出す。
向かったのは、私の家から30分ほどの場所にあり、住宅地の中にあるというひまわり畑。
近場のコインパーキングに車を停め、すべての日差しが私に降り注いでるのではと思うほど強い日差しの雨を浴びながら、ひまわり畑のある場所へ向かう。
今年初のひまわり畑。
というか、ひまわり畑って行ったことあったっけ?
夏を代表するひまわりは私にとってそれほど縁遠く、誘われなかったらひまわりを観に行くこともなかったんだろう。
そんなことを思いながら歩いていると、”住宅地の一角”の代表ともいえるほどの住宅街の一角に、ひまわり畑が突然現れた。一軒家が3〜4軒建ちそうな面積一面がひまわりだった。
ひまわり、ひまわり、ひまわり…を見た瞬間、
「まぶしい…」
思わず目を背けた。
それから約1時間、太陽を浴び、ひまわりの顔を一斉に浴びながら、パシャパシャと写真を撮り続けた。けれどなんだかずっと、居心地の悪さを常に感じていた。
居心地の悪さは、常に明るい笑顔を向けられていると感じたからだった。
「あぁ、ひまわりのような人にはなれないなぁ」
そのとき、なぜかぼんやりとそう思った。
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別の日、小柄で素直で目がぱっちりして可愛いのに、なぜか自分に自信がないと思っている子と遊びに行った。
その子は、髪の毛はばっちり巻いて、化粧は華やかすぎずとも色白で清潔感があり、ひらひらのワンピースにピンクのバッグを持つような女の子だけど、さばさばとしていて気が合い、たまに遊びに出かける。
年下だけど、気の合うその子に私も自分を飾ることはせず話すことができた。
そんなとき突然、
「夏がすっごい似合いますよね!ひまわりとかも似合う。プールとか海とか好きですか?」
ん?
「いや…夏、あんまり好きじゃない。」
「えっ!うそ、意外過ぎる!!!」
いやいや、その発言の方が意外過ぎるよ。
なんでそう思うのかを聞いたら、
「常に笑ってるし、みんなを引っ張ってくれるし、みんなと仲良いし周りも気遣ってくれるし」と…。
私はその子にとって、「ひまわりのような人」だった。
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改めて、私が思う「ひまわりのような人」について考えてみる。
・常に笑顔で元気な人
・「ごめんなさい」より「ありがとう」を言う人
・大勢の人の意見をまとめる人
・自分から発信する人
・思い立ったらすぐ行動する人
全部、違う。私じゃない。
写真写りが悪い私は、写真を撮るときには予め練習していた目の開き具合と口角の角度をその場で思い出して実行にうつすし、
ありがとうよりごめんなさいを言いがちだし、
話すのもまとめるのも下手だし、
考えに考えて実行できないことがたくさんある。
私が考える「ひまわりのような人」は、自分とあまりにもかけ離れたまぶしさを持つ人。
でも改めて考えてみると、その女の子との共通のコミュニティで私は、私が思う「ひまわりのような人」だと気づいた。
自分から「ひまわりのような人」になりたいと思ってなったわけではなく、人との交流や物ごとをなめらかに進めたいという一心で動いていたら、勝手になっていたのだ。
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「ひまわりのような人」にはなれないと思っているとき、たぶんそれは考えすぎて何も行動できていないときなのかもしれない。
よく考えてみれば、ひとりで物思いにふけっている時間に、「私は常に元気で笑顔の人間」と思う方が難しいだろう。
目標に向けてがむしゃらに行動していると、私が思う自分ではない自分を、私以外の人が見つけてくれることがある。
見つけられた自分には驚きや気づきがあって、自分自身を見つめるきっかけにもなる。
「ひまわりのような人」は、私のある種の憧れの人でもあり、私なんかにはなれないと思っていた人。
でも、そんな私を見つけてくれた人がいた。たぶん、何人も。
誰にとっても「ひまわりのような人」ではないかもしれないし、というか絶対違うけど、私の知らない私を見つけてくれる人がいること、見つけてもらえるような居場所があることが幸せだ。
とはいえ、夜中にひとりでうんうんと考えこむ自分も割と気に入っているんだけど。
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