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グローバル化と青いキャラクターとバスケットボール

(Photo by Bruno Buontempo)

僕が最初に入社した会社には同期に外国籍の社員が何人かいた。「グローバル化」という単語が何度も入社式の社長挨拶で繰り返された会社だったから、そのことは不思議ではなかった。

もうその会社を転職してしまった僕にとっては、その会社での記憶は時が経つごとに薄れていく対象で、その会社の社長が意図していた「グローバル化」が何であったのかは今ではすっかり忘れてしまった。きっと当時から僕は理解できていなかったのだろう。今だって、「グローバル化」という言葉が指す具体的な意味と一般的なメリットを、ある意味では全く理解できていないのだから。

そんないい加減な記憶力と理解力を持つ僕が「グローバル化」と聞けばどうしても思い出さずにはいられない、その会社で出会った人物がいる。その人物は、ひときわ目立つ大きな体つきをした中国人の男性であり、彼は、僕が最初に入社した会社で数多くいた同期の一人で、僕にとっては「グローバル化」を擬人化したような存在だった。

新人研修の合間に休憩コーナーかどこかで、彼と日本のアニメについて話した時が一番印象に残っている。彼は大柄な体つきが周囲に放つ印象とは真逆に、とても丁寧な日本語を話した。たぶん僕が知る限り、同世代で一番丁寧な日本語を話す人々のうちの一人だった。一度気になってどうやって日本語を習得したのかを尋ねたら、NHKのアナウンサーを真似て覚えたと教えてくれた。そういえば、彼は同期に対してもなぜか敬語で話していた。

気が滅入るようなグレイトーンの社内の休憩コーナーで、研修期間中のある日、自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、彼は僕にこう語ってくれた。


「私が初めて日本のアニメを見たのは、小学生の頃でしたね。確か、あれは、ドラえもんでした。当時、吹き替え版の海外アニメの枠はCCTV(中国中央テレビ局)で日曜日の午後に放送されていていましたね。午後4時からだったと思います。

その前の枠はセリエAのサッカー試合の録画放送と、農業従事者向けの天気予報でした。私の家では毎週日曜日の午後に、午後4時より前からテレビを付けていたので、いつの間にかサッカーと天気予報を見てからドラえもんを見るという習慣が身についていました。私は天気予報を見るのが好きでしたね。」

彼は興味深そうに聞く私を見ながら、なぜか自信満々に話を続けた。実際、不快を通り越して、清々しく感じるほどに彼は自慢げだった。

「中学時代は、そうですね、スラムダンクが放送されていたので、よく見ましたね。当時、中国でもその影響でバスケットボールがすごく流行りました。近所の本屋でもバスケットボールが売られていました。本当ですよ。スポーツ用品店ではバスケットボールが売り切れてしまっていましたし。スラムダンクの最終回の放送日には、学校から、『スラムダンク最終回のため、先生方はできるだけ午後の最後の授業を延長せずに、生徒が定刻に下校できるようにしてください』とアナウンスがあったくらいです。

その日の帰り道は、そうですね、下校する生徒の流れが、まるで洪水のようでしたよ。」


この通り僕は未だに、最初に入社した会社で中国人の同期が語ってくれた、この話を鮮明に覚えている。僕のいい加減な記憶の中で「グローバル化」というキーワードで検索をかけて真っ先に出てくるのは、間違いなくこの話だ。

彼は元気に、そして自信満々に、故郷の思い出を今もどこかで語っているのだろうか。

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