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どうでもいいことを考える時間が尊い


あいかわらずドライブをしていた今日、気づいた。


今日のドライブのおともは、自分で作ったプレイリスト『夏』。スターラブレイションをドラマの映像を脳内で流しながら口ずさむ。

泣き笑いながら見る空は
最高に美しいんだ

song by ケラケラ


そんなこと、忘れていた。
なんだろう。社会人になってから泣くことはあっても悔し泣きが多く、泣き寝入りをする回数が多い気がする。歌詞にあるような「泣き笑い」というのは、久しく体験していない。(笑い泣きはしょっちゅうある)


年を取ると(いうて30歳)、表現が粗末になる。気がする。10代のころのほうがいろんな表現が出来ていたように思う。
たとえば空を見て「この空は今日、今この一瞬モノ」「今日と同じ空は二度とない」と思う。それは考えれば至極当たり前のこと。だけど、そんなことにさえ感情を動かされていた。1日1日違う空に、1分1秒違う空に、その時の情緒を乗せていく。表現していく。そんなことが10代のほうが長けていたように感じる。年を取るに連れて経験からか、至極当たり前のことに感動は覚えなくなってしまったのか。


歌詞に戻ろう。
歌詞を作るひとたちは、私が失くしてしまった語彙や体験を、言葉にしてくれる。私が失くしてしまったものを、歌詞を作る人たちは失くさずにいる。素直に「すごいな」と思った。
仕事だからと割り切ってしまえばそれまでだが、仕事だとしてもそう思う。


普段なら、こんなところまで深く考えない。しかし、久しぶりに深く掘り下げたことで、こういう時間も大事だなと改めて思った。心の満足度があがる。こういうとりとめのないことを考えるのが、自分は好きだったなぁと思い出す。

今思えば、こういう時間は自分のデトックスの時間だったのかもしれない。(デトックスし過ぎた時もあったけれど)


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