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千年後に読まれる日記

少し間が空いた日記。日記を書き残すことで、2020年の6月、コロナとともに人間が生きることになった時代に、ひとりの女性がこうして日々を生きていたんだよって証をここに置いておこう。自分のための文章をなかなか書けずにいたけれど、もっと瞬発力でわーっと書き殴らなきゃいけない、な。

今夜、雷と雨の音をBGMに「海響」の発売前のインスタライブを聴き終えて、『すばる』5月号のエレン・フライス+小林エリカさんの対談「人間は細部に宿る」を読んだ。14ページの対談には胸が踊るような瞬間やインスピレーション、パワーをたくさんもらって、そのエネルギーを指先にビリビリ走らせながらキーボードの上を往復している。

日記という形について久ぶりに再発見をたくさんして、とくに胸に残ったところを一部抜粋。

一人ひとりに、それぞれの日常や生活があった。
音楽はどんなものが好きだろうとか、
寝るときには電気を消すのかどうかとか、
朝ごはんには何を食べるのかとか。
そういうディテールを私は知りたかった。
そのひとり一人の生が「約」にまとめられてしまうことが、すごく不服で。
それなら私自身が日記をつけて、アフガニスタンで死んでゆく私の知らない一人ひとりのことを考えながら、この東京に暮らす一人ひとりの人間のディテールを書き残そうと思ったんです。 (小林)
たとえば、『和泉式部日記』の冒頭にある
「夢よりも儚き世の中を、嘆き詫びつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく」というのを読んだときに、
千年前でも人は恋や人生に悩んでいて、でも同じように季節はめぐって春がやってきて、木々には葉が茂るんだ!と、深く感動したんです。
そうやって千年前の、会ったこともない女性の書いたものに胸を打たれることもある。
だから日記をたくさん読みたいと思うし、
たくさんの日記が書き残されてほしい。                          (小林)

はぁ……。この文章だけで日記がどれだけロマンティックなものなのか、十分過ぎるくらいに伝わってくる! 書かなきゃね、もっと日記。

タイトルは直訳すると「アンナ・アフマートヴァへのインタビュー」になるのですが、実際は日記です。
当時はソ連の混乱期で、部屋が盗聴されているおそれがあるため、
政治的な話もできず、アフマートヴァは、にせの会話をしながら、
紙に詩を書いていった。チェーコフスカヤはその詩を記憶して、暖炉で紙を燃やし、帰ったあとで自分のノートに書き留めていたんです。(中略)
アフマートヴァがコーヒーを飲もうとしたときに、
砂糖がなくて棚に探しに行った様子とか、彼女のドレスの異論居着いても、こと細かく書き残しているんです。            (エレン)

ほんとうに些細な、そのときに着ていた洋服のこととか、髪の毛のこととか、食べもののこととか、仕草とか会話とか、なにげない細かい日常の描写がとても好き。社会や時代背景が伝わってくるところも好き。そのときそのときの時代や環境に人生が方向づけられるから、バックグラウンドは個人の物語にとても重要な要素だと思ってる。

あるとき、女性のアーティストが、自分の子供やプライベートな生活を見せないようにしていると気づいたんです。
だからプロジェクトでは、作品づくりと同じように、掃除も、料理もしている彼女たちの姿を撮りたい。
そうした側面を隠したり、創作を切り離すのではなく、一緒に定時したいんです。それも人生の一部ですから。             (エレン)

SNSもそうだけれどきれいに繕われたものだけを見せても真の共感はもう生まれないかもしれないと思う。完成されたものだけじゃなくて、途中とか散らかっているとか、生きてるそのままみたいな連続性の方が本当だし、そちらを見たいという気持ちはわたしの中にもあるかも。

今住んでいる村に引っ越して、”異なるフランス”と出会うことができました。村があるのは、イタリアやスペインの一部にもまたがるオクシタニアという地域で、独自の言語があり、メンタリテーも違っているんです。(中略)
その頃は、「村に住む」という発想もなくて、都会的なライフスタイルができる小さな町を探しました。けれど、どの町を見ても、悲しげで。
そんなときに、尊敬するジャーナリストのミシェル・ビュテルから「きれいな村があるから寄ってみるといい」と教えてもらったんです。
観光のつもりで寄ったんだけれど、ものすごく魅力的な村で、結局七日間滞在して、そのあいだに今の家を借りる契約も済ませて、三ヶ月後に猫三匹と一緒に引っ越しました。                  (エレン)

近頃、澄んだ空気と自然に囲まれた場所で暮らしたい気持ちがムクムクしていて、とても共感した文章。わたしはその街や場所にとても影響を受けてしまう資質で、「町が悲しげ」というニュアンスがすごくよくわかる。ここにいると悲しい気持ちになってしまう街がたくさんあって、好きになれるところはすごく限られている。

住み始めてからも幸運が続きました。たとえば、家の向かいにはアメリカの老夫婦が澄んでいるんだけれど、そのおじいさんは、ビート詩人のローレンス・ファリンゲティガ立ち上げた<シティ・ライツ・ブックストア>の最初期にディレクターを務めていた人だったんです。『パープル・ジャーナル』を知っていた若い詩人もいました。この村には八〇年代からたくさんの外国人が移住していたようで、英語専門の本屋もあるし、ジム・ジャームッシュんお新作をかける映画館まであるんです。そうしたインターナショナルな空気と、すばらしい人たちがいなかったら、田舎の生活にうまく適応できなかったと思います。村には本当にたくさんの外国人が澄んでいます。ニュージーランド人にオーストラリア人、日本の女性もいるんですよ。 (エレン)
サンデーマーケットには、オランダ人やドイツ人が出店していたり。だから、すごく居心地がいいんです。もう奇跡に近い。フランス人しか住んでいなかったら耐えられなかったと思います。 (エレン)

オクシタニアでの暮らしが伝わってくるすばらしい文章。どこで暮らすか、その場所にはどんなひとたちが暮らしているかってその環境を左右する重要な要素だと思う。わたしもその街にどんなひとたちが暮らしているかとても気になってしまう。オクシタニアのような場所でわたしも暮らしてみたいし、きっと今後そうなると思う。熊本で暮らしている坂口恭平さんのnoteを読んでいても、畑をしながら暮らすっていいなと思う。

勢いでわーっと書いてきて、パチンとスイッチが切れてしまった。これ以上書けないから(書きたいことは山のようにあるけれど)、おやすみなさい。またね。

#日記 #エレンフライス #小林エリカ #note   #記録 #オクシタニア


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