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鬼才たちのドキュメンタリー映画から考察する「天才」とは

天才の概念が180度変わったドキュメンタリー映画2本。

1本目は、映画監督デビッド・リンチがひたすら創作活動に没頭する姿に本人の音声が入る「デビッド・リンチ アートライフ」。

2本目は、北野武やイッセイミヤケも含む世界中の芸術家や政治家1000人以上に「あなたはなぜクリエイティブなのか?」という問いをぶつけた一言インタビュー「天才たちの頭の中~世界を面白くする107のヒント~」

2本に共通していたのは、創作活動そのものが「生きる」ということ。

悪夢を描くデビッド・リンチが天才たるゆえん

私が好きな映画監督、アーティストの一人、デビッド・リンチ。
赤や青のベルベットカーテンが織りなす曖昧な夢と現実の境界線。
映像や音楽をぱっと見ただけで「あ、ぽいな」とわかる不気味さ。
ストーリーやセリフにも伏線なのか雑談なのか抽象的なシーンと言葉の羅列。

なぜ好きかと聞かれたら、私が問いが好きだから。

映画中「なんでここでこの人物だ出てきたのか?」「このシーンはなぜここに入っているのか?」「なぜこれを言ったのか?」見ながら「なぜ」が止まらなくなる思考がずーっと味わえるのがめちゃくちゃ面白い。
もう中途半端じゃなくて全然わけがわからない。

でもそれが分かる瞬間があって、その答え探しが楽しい。
この曖昧さと計画性を行ったり来たりしながら無秩序な世界を独自性豊かに映画を成立させてしまうところがすごいなといつも感じる。

映画「アートライフ」の特筆すべき点は、本人が話すシーンがほぼ無い事。
絵を描いたりオブジェを作ったりするリンチ氏の創作シーンが続く。
(たまに娘と遊んだり、過去の写真やフィルムが挿入される)

2つ目のドキュメンタリーで「なぜあなたはクリエイティブなのか?」に対するリンチ氏の答えは

「最高にワクワクできるからだ」


リンチ氏にとって映像制作や芸術制作はきっと
心から楽しくて、生き甲斐で、止められない、生きる行為そのものなのだと痛感。
(だから映画の中で本人が話すシーンを極力減らして制作シーンにしたグエン監督の演出が素晴らしい)

天才たちの頭の中

2本目のドキュメンタリーで世に天才と呼ばれる人たちは「あなたはなぜクリエイティブなのか?」と聞かれても
「わからない」「それが私」「子供の頃から続けている」
それが当たり前と口を揃える。

しかし
良いと思ってもそれをうまく発信して理解されないと後世に残らない。

映画で私が感じたことは
沸き起こる衝動を抑えずに、でも独りよがりではなく
ちゃんと理解できる(または理解できないものとして理解される)ように努力して"コミュニケーションを他人と取り続けられるかどうか"が天才とそうで無い人の分かれ道ではないか。

つまり
「天才」とは、対話が上手な人である、と仮定。


だから天才になりたいわけでも簡単に天才になれるわけでもないけど、やはり発信し続けてコミュニケーション能力を高め続けないといけないなと思った次第。

対話が上手で、芸術を理解されて
お金を出して買ってもらって生きていける。

物を売るにはどこまで行っても対話なのだと思う
テレビショッピング映像ディレクターでした。
(子供を育てるにもやっぱり対話が大事なんだろうな…)


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