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いつだって、自分の敵は自分。

自己紹介の記事を経て、何を書こうかなと思っていたのですが、このところ思うことがあったので、その件について書き綴ってみたいと思います。
具体的なお話ではなく、極めて抽象的で個人的な葛藤ですが、よければお付き合いください…。

私は、自分の性格の一部分として、思ったことや自分の主張ははっきり伝えたいし、話の矛盾や、一貫性がなく感じることが結構気になるほう。
もちろんそれは相手にもよるし、グレーであることが最善策で優しさであることもあるけれど、それでも、大事なことであればあるほど、納得がいかないことがあればちゃんと伝えたいし伝えられたいし、なんなら納得できるまで議論したい、そんなタイプかなぁと思っています。

だからこそ、か分かりませんが、自分に対しても、自分の発言と行動が一致していなかったり、日和って、本当はやりたかったこと、目標にかかげていたことに対して一歩踏み出せないことがあると、もう、自分で自分にどうしようもなく腹が立って、許せなくて、頭が爆発しそうになる時があります。

それでいて、そんな風にできないままでいることに対して、できなかった言い訳を心の中で唱えて自分を守ろうとしたり、結局最後は自分のことが一番可愛い、弱くてお豆腐メンタルな自分も垣間見えたりして。
なんだこれ、ダサすぎる。素直じゃなさすぎる。自分に甘々で、都合良すぎで情けない。
そんな感情が波のように押し寄せてきては、自分自身に苛立って、頭の中で悶々と考え込んでしまっています。

これが、他者への苛立ちであれば、どれだけ腹が立っていたとしても、結果的に「相手を許せない」なんてことはほぼなくて、瞬間的には、大嵐の日本海のように荒れ果てていた心も、一晩も経てば、瀬戸内海の夕凪のようにぴたりと落ち着いて。
風のように通り過ぎていくその感情のほとんどは、いつだって時間が解決してくれるという感じなのですが。

一方で、自分への苛立ちは、「できない」自分が悔しくて、「ずるくて卑怯」な自分も気に入らなくて、いつまでも成長しないそんな自分が許せなくて、こんな感情・自分との戦いが、何よりも辛くて苦しい。

なんなら、他者には結構強気で、相手からの評価なんて気にしませんと言わんばかりに、語気強めで捲し立てるわりに、意外と人からの見られ方を気にしている(失敗を恐れている)のも最高にダサすぎる!!!!!!

完璧主義でプライドが高くて、自分の弱さを自分でちゃんと認められなくて、素直になれない。
本当に全力投球でやるべき瞬間に、力を二分してしまうような変な現実逃避に走って、結局どちらも中途半端。

え、ちょっと待って、いつそんなに拗らせた?
昔からそんなだった?
と自分に問いたくなります…

30を過ぎても、できないことはできないなぁ、と思うし、もっと言うと、10代・20代の時には無意識のうちにできていた、やっていたように思えることが、いつのまにかできなくなっている。
年齢を重ねれば重ねるほど、知恵や知識・経験は蓄積するけれど、それ故に頭でっかちになってしまって、最初の一歩を軽やかに踏み出せない。

失敗を恐れたり、自分の中の「こうあるべき」が強過ぎて、周りからみたら「なんでやらないの?」と思われてしまうような些細な一歩ですら踏み出せない自分が最高に気に入らないけど、だからこそ、そんな自分に打ち勝ちたい。

失敗がなければ成功がないこと、若い時の失敗は、お金を払ってでもしろということ、自分にとって耳の痛い話にこそ、気づきがあるということ。

全部全部、頭ではわかっているつもりで、だけど体が動かないこと、行動に移せないことがもどかしくてもどかしくて、心が張り裂けそうな瞬間が、寄せては返す波のように、ふいにやってきては頭の中を占領して、いろんな気持ちが自分の中を行ったり来たり、翻弄されている今日この頃。

子供の頃、一番なりたくなかった大人になってしまっている気がして、シンプルに辛い(笑)

なんだか重たくて粘着質な話をつらつらとしてしまいましたが、この感情の記憶があるうちに、あえて文章に残して記録しておきたいと思って書いてみました。

いくつになっても、
自分の敵は、自分。

昨日の自分を少しでも超えられるように、その感情を忘れずしっかりと携えて。
自分の感情にも、斜めからじゃなく、正面から向き合って、1日1日を噛み締めて過ごしていきたいと思います。

昨日よりも今日という日が、
1ミリでもすこやかでありますように。


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