見出し画像

アダム・イェーツの移籍について人が語るときに私の語ること


皆が、彼の話をしている。

実力のある選手で、これまでも注目を集めてはいた。だが今年の取り上げられ方は、これまでと明らかに違う。

ロードレース界随一のバジェットを持つ英国トップチームにはスターが揃っている。ファンも多いがアンチも多い。どんなスポーツでも巨額の予算を持つ強いチームは憎まれ役だ。「金満チーム」と揶揄され、勝つのが当たり前。勝てなかった日には容赦ない批判が浴びせられる。(個人的には大きなバジェットを引っ張ってこられるのもチームの力だと思うが)

良くも悪くもトップチームは注目を集める。善意と悪意が入り混じった多く視線が、彼の輪郭を濃く浮かび上がらせているのだろう。なにしろ、昨年の目玉と呼ばれた大型移籍だったから。

アダム・イェーツはプロデビューから7年間在籍したチームに別れを告げて、2021年から母国イギリス籍チーム、イネオス・グレナディアーズへ移籍した。

皆が、彼の話をしている。

変わったチームと、変わらない彼

イネオス・グレナディアーズはボルタ・ア・カタルーニャを支配した。グランツールウィナー二人を筆頭に盤石の体制を敷き、他のチームの挑戦をたやすく退けた。
濃紺に赤いロゴのジャージを着た「英国擲弾兵」が大切に運ぶのは、総合リーダーに与えられる特別なジャージに身を包んだアダム。三日目の超級山岳バルテル2000で彼は圧巻の走りを見せ、総合首位に躍り出た。そして残りの日を今大会最強のチームに守られて、危なげなく総合優勝を果たしたのだった。

総合1位から3位を独占したイネオス。その強さを十分過ぎる程に見せつけた。

「移籍は大成功」「イネオスマジックだ」「彼はジロ・デ・イタリア、いやツール・ド・フランスに出場するべきではないか」少なくないメディアやジャーナリストが色めき立った。

だが待ってほしい。アダムは元々強い選手なのである。2019年以降はシーズン序盤から全開でレースを連戦し、コンディションを高めるスタイルを好んできた。今年圧勝したバルテル2000は2019年にも勝っている得意の山だ。彼が勝利後に語っていたように、チームは変わっても彼自身に変化はない。もちろんチームに強い選手がいれば戦術の幅は広がるし、力を温存することもできるから戦いを有利に展開できる。しかしアダム自身の強さは元々持っていたもので、彼も言っているように「昨年も同じくらい好調だった」のだ。

アダムの山岳での強さは昨年までと変わらない。
2020年UAEツアーではStage3の岩山ジュベルハフィートでアタックを決めライバルを大きく引き離してフィニッシュ。この走りで総合首位を射止めた。

更にアダムは言う。チームは勝つための環境にすぎず、チーム間にそこまでの差はないと。とは言え惜しいところでステージレースの総合優勝を逃すことも多かった中、きっちりカタルーニャを勝つことができたのはチームメイトの力によるところが大きいだろう。

しかし繰り返すが、アダム自身が劇的に変化したわけではない。元々シーズン序盤は元気で、一週間程度のステージレースとワンデーには強い選手なのだ。この後もレースは続くが、来月のアルデンヌクラシックまでは例年通り好調さを維持できるに違いない。問題はその後だ。

区間勝利を飾ったボルタ・ア・カタルーニャStage3後のインタビュー。自分は変わっておらず、チームも少しずつ違うただのチームだ、と答えている。

アダムの弱点ははっきりしている。カタルーニャで見せたような強さを、グランツールで発揮できないことだ。2016年にツール・ド・フランスで総合4位と新人賞を獲得して以来、その成績を超えることができないでいる。

昨年まで所属していたミッチェルトン・スコット(現チーム バイクエクスチェンジ)では絶対エースとしてツールを走ってきた。だが、駄目だった。2018年と2019年は総合29位、2020年は9位。トップ10入りは素晴らしいが、彼の目標はもっと高いところにある。

これまでのグランツール最高位となる総合4位で終えた2016年ツール・ド・フランス。その後は苦戦が続いている。

勝つために変わる彼

移籍を決めた本当の理由は、本人以外にはわからない。だが周囲の人間の言葉を束ねると、アダムはグランツールを勝つために移籍を選んだのだと思える。
元選手で現イネオス・グレナディアーズの監督を務めるスティーブ・カミングスは、厳しい内部競争に身を晒し成長することが目的ではないかと英国自転車雑誌のコラムでコメントしていた。また、双子の兄弟サイモンはアダムはチャンスを見出したから移籍を決めたと話していた。

そして、アダムを喜んで迎えたイネオス・グレナディアーズのデイブ・ブレイルスフォードGMはこう言っていた。「アダムは結果を出すためにやって来た。彼の成長を助けたい」と。更に、今年はアダムをエースにグランツール最終戦ブエルタ・ア・エスパーニャでの総合優勝を目指すと発表した。

イネオス・グレナディアーズの2021年プランを報じるアダムの地元イギリス・ベリーのメディア。ブレイルスフォードGMのコメントが掲載されている。
移籍を決めたアダムに対し残留を選んだサイモン。 アダムはチームに満足していたが、チャンスがあったから移籍したとコメントしている。
サイモンにもこれまで複数のチームからオファーがあったが全て断ってきた。隣の芝生は青く見えるかもしれないが、移籍すれば何年もかけて築いてきたチームとの関係はリセットされてしまい、再構築できる保証もないからだ。
サイモンの言葉を鑑みると、アダムはチームとの関係構築を急いでいるところなのかもしれない。

ここ数年のアダムはツール・ド・フランスに照準を合わせてきた。にも関わらず、シーズン当初から高めてきたコンディションは盛夏の頃には下降線を辿ってしまう。ツールの後、秋のイタリアンクラシックの時期には好調さを取り戻せた。しかし肝心のツールにピークを合わせることが、どうしてもできなかった。

だから今年はツールではなく、ブエルタなのだ。晩夏に開催されるブエルタまで集中力とコンディションを維持するのは初の挑戦となる。しかし、この挑戦を乗り越えてブエルタで結果を出すことができたなら、それは選手のコンディショニングを得意とし、グランツールを戦うノウハウを豊富に持つチームとのシナジー発揮と言える。そうなれば移籍は大成功だ。

移籍が発表された時、「金に目が眩んだ」「アダムはエースではなくスーパーアシストとしてこき使われるに違いない」と囁いていた意地悪なメディアやジャーナリストもあったが(ちなみに毎年仏レキップ紙に掲載される選手の推定年俸ランキングに今年初めて彼の名前が出たが、チームの年俸水準を考えると特別に高いとは感じなかった)、今のところはアダムが契約時にコメントしていた通りグランツールを勝つために走っている。

もう少し解像度を上げて言うと、チーム内で確固たるエースの座を勝ち取り、三週間グランツールを戦い抜いて勝つために集中して走っている。
だから、慌てずに今年のブエルタを待ちたい。

UAEツアー前のアダムのインタビュー記事。今シーズンの目標は得意としている一週間程度のステージレースとアルデンヌクラシック、そして東京五輪とブエルタ。ここ数年は序盤から飛ばしてツールまで持たせようとしてきたが失敗。これまでになく長いシーズンを過ごすことになるが、ブエルタに向けて集中していきたいと話している。

もちろん、レースによってはアシストに回ることもあるだろう。リーダーとして走ることが多い一方、チームへの貢献を大切にしてきた選手でもある。だがチームは今のところアダムをエースとして丁重に扱っているように感じる。これだけ選手層の厚いチームで「序盤から沢山レースを走りたい」と言う彼の希望を叶えているからだ。

UAEツアー、ボルタ・ア・カタルーニャ、この後はイツリア・バスクカントリー。UAEツアー最終日の落車がなければ、パリ〜ニースも走る予定だったそうだ。ジロやツールへのスイッチ予定も今のところはない。チーム内の多くの選手が複数のグランツールを走る予定を組む中、チームはブエルタまでアダムを温存し、トップコンディションで走れるようにサポートするとしている。

移籍後初レースを絶対エースとして走った2021年UAEツアーは総合2位。今年の総合優勝者となるタデイ・ポガチャル(スロベニア/UAEチームエミレーツ)と激しい登坂バトルを繰り広げた。

来年以降の予定は決まっていない。そしてイネオスはどんなに強い選手であっても自動的にグランツールをエースとして走れるようなチームではない。来年からは都度内部競争を勝ち抜いていく必要がある。特にツールは激戦だ。得意種目ではない個人タイムトライアルの比重が高い今年のツールへのこだわりはなさそうだが、来年以降はアダムもエースとしてのツール参戦と上位入賞を目指すことになるだろう。
したがって彼の戦いは来年以降が本番だ。だけど一歩も引く気がないのは、UAE、そしてカタルーニャでの走りを見ても明らかである。

カタルーニャ期間中、豪華なトレインにうやうやしく守られていたアダムは知らない選手のようで、実は少しさみしさを感じてしまったことを告白しよう。だが彼は2019年に逃した総合優勝に集中し、チームオーダーに従って自分の仕事をしていただけだった。「シーズン屈指の難コース」と言う最終日をトラブルなく乗り切るために、徹底的にリスクをコントロールしていたのだった。ただ、勝つために。

本能で繰り出すアタックを武器に走る姿を見る機会は、もしかしたら減るのかもしれない。防御よりも攻撃を好んできた彼は、そのアグレッシブさをより現実的に発揮して更なる高みを目指すのだろう。厳しい状況に置かれても挫けることなく実力でキャリアを切り開いてきた逞しい人なのだ。生真面目な野心は愛すべき彼の美点。静かに、だが今までになく熱く闘志を燃やしているであろうアダムがこれからどう変わっていくのか、楽しみに見守っていきたい。

(おまけ)

双子の兄弟サイモンと別チームで走るのはプロ生活で初のこと。お互い戦うのを楽しみにしており、二人とも「その時強い方が勝つだろう」と言っている。
もちろん兄弟対決はそれぞれの目標の過程にあるもので、それ自体が目的ではない。
2016年クリテリウム・ドゥ・ドーフィネを走ったアダムのドキュメントムービー。若きアダムの夢は大きくツール制覇。"Sky is the limit(可能性は無限)"と言っていた彼の冒険は、今も続いている。
イネオスへの移籍発表。この中でアダムは安定している短いステージレースやワンデーの成績をグランツールでも発揮したいとコメントしている。
なおこの発表には結構な数の否定的なコメントがついていたが、You’ll seeである。
9人目の英国人マイヨジョーヌとなったアダムの魅力に触れてくれている良記事。彼は控えめなキャラに反して独自路線を行く攻撃的な走りの異端児なのだ。
自分がアダム・イェーツという選手を好きになった経緯と、彼の直近のキャリアについてまとめた暑苦しい記事です。ここまで読んで下さった稀有なあなたに読んでいただきたいです。

トップ画像:Photo by Keisuke Kitaguchi at Liège, Belgium 2019


この記事が参加している募集