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"ポテサラ"トレンド入りでみた、あるものが「無い」ことへの危うさ。

今日、このポテサラ投稿がトレンド入りしていた。

トレンド入りするほどの反響って、どんなのだろう、と興味本位でコメントをみてみた。そこには「ポテサラ作るの大変だよね、私も買ってます」「その男性、ひどいなあ」「ありえない!」というコメントが沢山ついていた。それには私も「うんうん、そんなこと言うなんて本当ひどいよね、ポテサラ大変だもん。子育て中なら尚更だろう。」と共感したのだけど、同時に強烈な違和感を抱いた・・・。

そこには"あるもの"が無かったのだ。
その"あるもの"とは「実は私も相手の気持ちを考えず、こんなこと言っちゃいました」という懺悔的なコメントだ。私がざっと見た限りだが、無かった。あんなに大量のコメントがあるのに、だ。それが違和感の正体だった。

全く褒められたことじゃないが、残念ながら私は容易に自分の浅はかで恥ずべき過去の言動をいくつも思いつく。このポテサラと近しいケースもある。中学生の頃、朝忙しく台所で作業する母に向かって「ねえ、レンジで牛乳温めてー」と頼んだら「自分でやって」と断られた。甘えきっていた私は「えー、それぐらいやってくれてもいいじゃん」と言ってしまった。すると母は「それぐらい?じゃあ、あなたがそれぐらいと思うこと、全部自分でやりなさいね」と冷静にキレた。それ以降、一切私と口を聞いてくれなくなり、私に関する家事を放棄した。父が仲裁しようとしても、私が軽く歩み寄ろうとしても許してくれず、最後は私が反省文を書きテーブルの上に置き、何とか謝罪の機会を与えられた、ということがあった。それはそれは長い1週間だった。あの発言をしてしまった時、私は家事を軽んじている気持ちなんてさらさら無かった。家の手伝いも同世代よりはしていた方だったし、人並みに感謝もしているつもりだった。しかしそれは"つもり"に過ぎなかったのだ。結果、思わず口をついて出た言葉から、母を失望させてしまったのだった。※

ポテサラに限らず、この高齢男性ほどあからさまな嫌がらせじゃなくても、誰もが知らず知らずに「このぐらいやったら?」「このぐらいはできるでしょ?」「え、そんなこともできないの?」という思いを抱いたり、言ってしまうことってあるんじゃないだろうか? 少なくとも、私はある。

でもこの「実は私もある」がTwitter上には無い。それがものすごく怖いな、と思った。中には本当に「私は絶対にそんなことしない、ありえない」と信じ切っている人もいるだろう。でも実際はそんな人ほど、そんなことしちゃうんだと思う。そりゃ大半の人はスーパーでポテサラ買おうとしている人に文句なんか言わない。でも、そうじゃなくて、もっと違う場面で「(私はできるのに)これぐらいのことがなぜできないの?」「(私は頑張ったのに)なぜこれぐらいやらないの?」「これぐらいする(のが当たり前)でしょ?」って無意識に言ってませんか、って話だ。
で、何が問題かと言うと、「そんな偏見にまみれた言動を自分は絶対しない」と思い込んでいる人たちが一定数いると分かっているから、「実は私も…。」と懺悔する人がいないということだ。
弱者への共感しか許されない世界なのだ。


このポテサラ投稿は加害者が有名人ではないだけで、ゴシップネタや炎上ネタでネットが賑わっている時と構造は同じだと思う。「自分に限ってそんな間違いは犯さない」と思い込んでいる人群からの見えないプレッシャーを感じ、「加害者は心のよりどころが欲しかったのかな」「私はたまたま犯罪を犯さずにすんだけど、私もちょっと状況が違ったら間違いを犯していたかもしれない」といった加害者側の背景を汲んだ発言の予知を許さない。そんなことを言ってしまったら自分に飛び火しかねない、という危険を感じるからだ。そのせいで、今まさに何かの加害者側になってしまう瀬戸際の人が余計に誰にも相談できず、さらに追い込まれることになっているのでは無いか。

誰もが完璧なわけじゃない。あの聖人君子の象徴のような心優しく勇敢なナウシカですら「私、自分が怖い。憎しみにかられて何をするかわからない。」と言い、現に何人も殺してしまったのだ。人は殺さないにしても、ポテサラ買ってる人に文句は言わないにしても、いつ誰が人を傷つける加害者になってしまうか分からない。その高齢男性だって、生まれた時からどこかのお母さんを傷つけるような大人になりたかったわけじゃなかろう。

だからこそ、加害者にならないように気をつけようね、って話もしようよ。そのために「私もこんなことしちゃいました」って懺悔できる余白を持たせようよ。私もこんなことしていないかな?と省みるきっかけにしようよ。
何もTwitter上に重たい加害の告白を書けとは思わない。このコメント欄で私が見た世界が全てでは無い。

でも、このポテサラトレンド入りで抱いた「無かった」違和感を大事にしたいと思った。

(おしまい)
※捕捉
初めて私のnoteを読んだ方からは、私の母厳し過ぎない?育児放棄?と言われましたが、とんでも無いです。ということだけ書き添えておきます。今も昔も母との仲は良好で、そんな中で思春期とは言え私の失言から母の心を折ってしまった事件でした。私は中学生でしたし、掃除・洗濯・炊事の基本的なことはできたので、虐待のようなことでは全く無いです。子供を1人の人として見てくれる人だったので、本件もそのように接せられたのです。母とのエピソードはこんなところにも書いております。


**おまけ**
ポテサラ投稿から、自身のオリジナルポテサラレシピを公開している方も多く何だかほっこりした。で、うちの実家はどうだったかな、と思い出してみた。我が家は、ある日母親が「ポテトはわざわざ潰さなくても美味しいことに気づいた」と言ってから、茹でた後の角切りのままのポテトがサラダに使われることとなった。確かに、ポテトは潰さなくても美味しい。





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