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フラットな組織

会社によって文化は色々それぞれあると思いますが、私は少し位わちゃわちゃしていても、空気が明るくて弾んでいる組織が好きです。

空気ってわかりますよね。色々な会社に訪問してきたせいか、他社でもその空気感って感じます。きっとトップダウンで統制が効いている組織なんだろうなとか、個々人の能力に任せるという名のもとすごく放置されている文化っぽいな、とか。

フラットな組織というのが結構注目されていたような気がします。そういえば最近この言葉聞かなくなりましたがどうしてでしょうね。

個人的には、フラットだから透明性があるとか健やかに仕事ができるわけではないと思っています。なぜなら、そこに「誰」がいるかが起点になるからです。

起業したての会社を除いて、会社には既に「人」というとても重要な、そして一人ひとり個性が違う資産があります。この一人ひとり個性が違う人達を一気にフラットな組織に置くと、傾向として放置につながる気がしてます。

フラットだから遠慮せずに意見を言い合おう、フラットだからみんなそれぞれ自立して動こう。一見とてもきれいな環境に見えますが、人はそんな簡単なものではありません。

フラットと言ってもそれは完全に公平平等ではないわけで、見えない関係性というのが必ずあります。もしかすると、それなら、全員に可視化されている上下(という言い方は適切じゃないけどわかりやすくあえて書きます)関係を作った方が、下の人は意見を言いやすいかもしれない。見えない関係性を無視してフラットな組織を作るより、よほど健康的ではないかと思ったりするわけです。

あと一人ひとり個性が違うということを書きましたが、全員が全員、言いたいことを適切に言語化できるわけではないのです。例え同じ立場でも、他の人たちを統制できるような伝え方をテクニックとして持っている人もいれば、いつも遠慮がちに一歩引いてるけど、すごく真面目に正しいことを考えている人もいます。「フラットな会社なんだから遠慮しないで言いなよ」は、一見とても良い組織なように見えますが、その陰で性格的に言えない人、遠慮する人、自分なんてと思っている人、けれどすごく真面目に考えている人が意見を言う機会を失わせていることもあるかもしれません。

またはフラットな組織を追求するなら、言いやすい仕組みを会社が提供することかなと。

このことを思ったのが、ここ最近の在宅勤務の波でフィジカルな会議がオンライ化されたことで、フィジカルな会議では特定の人の発言の影響力が高かったのが、オンライ化によって会議の発言が比較的フラットになったという話です。タイル化された画面の中で、声の大きな人も性格的にあまり主張できない人も同じインプレッションシェアを保ち、発言し過ぎもしなさ過ぎも均等に可視化された状態。フィジカルな会議よりも言いやすい仕組みなのかもしれません。

これは半ば強制的にそうなった例ですが、本来ならもっと「意見を言うことを歓迎する」環境と仕組みの構築が必要だなと。みんながみんな自分の思っていることをその場ではっきり正しく言語化できるわけではないのだから。


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