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瞑想会に参加してシッディをしてもらったよ


シッディにたどり着くまで

最初の出会いはみんな大好きholosTALK。
インドの聖者”グル”に出会った悟ったリーダー、佐野さんのお話を聞いた。
パタゴニアの創業者やヒュー・ジャックマンも参加した1500万円のセミナーという情報量多い話に、なんだか全く知らない世界なのにとても惹かれた。

佐野さんの本もすぐ買って、2日で読み終えて、グルノートも試し始めた。こんなにすぐ行動に移すというのも相性が良いということなのかもしれない。

そこから、MOTOKOのヴェーダの告知がチラチラ目に入り、
佐野さん同様に同様にグルに会いにいった横澤さんとYASUさんを知った。
横澤さんはドワンゴの取締役でニコ動の責任者だそう。YASUさんはグルの教えを広める会社をされている。

見た感じ今っぽいお兄ちゃんなのに、フラットな佇まいにとても惹かれた。

このトークの一週間後にこの3人に会えるイベントをやると聞いて
いてもたってもいられなくてポチッとしてしまった。

というわけで、昨夜体験してきたよ。
なんか凄そうな会で、エネルギー転写してもらえる”シッディ”をしてくれるってことしか分かってなくて、当日を迎えて改めてイベント概要を見たら瞑想会というイベントだったと知った。そういうレベルだった。

瞑想とわたし

瞑想に関してはいくつか遍歴があって、一つはヴィパッサナー瞑想合宿に31の頃に千葉で参加した。10日誰とも話さないで瞑想するってやつ。「食べて、祈って、恋をして」の映画でもジュリア・ロバーツがインドでやってたね。

それと、HAPPYちゃんが毎朝、毎夜と瞑想をインスタライブでずっとやってる時期があって、その時も生活の一部として取り入れてた。

自分のエネルギーが乱れているときは、エイブラハム瞑想のYOUTUBEをずっと流しながらチューニングもしていた

そんな形で、付かず離れず瞑想と付き合ってきたが、ここに来てまったどっぷりハマりそうだ。

瞑想とは

昨日の瞑想会でもはっきり言っていた。瞑想は手段だよと。
自分の内側を観察するための手段なのだ。目的ではない。

どうして内側を見る必要があるかと言えば、自分の外側でなく内側で美しさや自由を感じることが幸せな状態だから。

内側が美しければ、世界は美しくなる。
内側に苦しみがあれば、世界に苦しみが生まれる。
だからこそ、内側のアプローチが大切なのだ。

内側を見る?

わたしには目玉がふたつ付いてて、そこから自分の外側を見ている。
だから、内側見るときは目を閉じる。そうやって”見る”。

無意識を意識化するという表現をされた。
自分が絶対正しいを思っているものを観察してみようって。

お金があるときは自由だと思うなら、
不自由な状態ってなあに?どんな感情が来るとき?それを”見る”。
例えば”焦り”という感情がくると不自由と感じるなら、
”焦り”を感じたくなくて抵抗して戦って、苦しみの起点にしている。
苦しみの種が”焦り”だったことを知る。

大体、苦しみの状態に溢れている

苦しみなんて言うと仰々しいし、わたしは苦しくないです、普通に幸せですなんていう人もいると思う。わたしはそう思ってた笑

でも、ほんの僅かな不安、疑い、ストレス、怒り、不快感、ジャッジメント

これ全部、苦しみの状態

そのくらい、わたしたちは当たり前に苦しみの中にいる。直視し難いけどね。

呼吸によって脳波を変える

人間だしホメオスタシスも働いて、ついつい外側に意識が向いたり、無気力になったり、自分中心になってしまう。こういうときは脳波がβ波
わたしは絶対正しいとか、誰かのせいにしたり、一過性の行動をしてしまうっときも。(あるよねー、自暴自棄になっちゃうこと爆)

これを、呼吸で脳波をα波に変えよういうのが瞑想。
支離滅裂ではなく、一貫性があって相手にどんなインパクトを与えられるかわかる。攻撃性がなくなり穏やかで情熱がある状態だ。
深く長い、規則的な呼吸でα波になる。

苦しみは習慣と結びついているので、まずは脳波をβ波からα波に変えて、気づける状態に持っていくことが大切。

実際にやった瞑想

2つの瞑想を教えてもらった。
youtubeにガイドもあったから貼っておくね。

セリーナマインドプラクティス

ソウルシンク瞑想

感情を認識するときに大切なのは、感情を変換しないこと
悲しかったけど、あれは今は感謝してる!!とか、無理にポジティブシンキングせず、ありのままただ見ることが大切。

お待ちかねのシッディ

悟りの意識のエネルギーの転写がシッディだ。
テーマが富であることもあり、常に経済的な不安を抱えているわたしだかこそ飛びついてしまった。悟った意識がわかればこの不安ともおさらばできるのではないかと。そのためなら決して安くはない参加費も無駄にならないのではないかと。(今思うと執着=苦しみの状態でしかない爆)

全体で瞑想をしてその流れの中でシッディが始まった。照明を落とした薄暗いスペースの中でシッディが始まった瞬間、空間の重さが変わったような体感があった。頭に手を乗せられたときに境界がなくなるな空間の揺らぎを感じた。

その後はシャバーサナ、死体のポーズで瞑想を続けた。
身体の感覚を例えるなら「インターステラー」だった。
床にくっ付いてるけど、天井にはりつけにされているような、体感覚が不思議で、途中イメージも浮かんだ。
わたしには二つのチョイスがあって、首に女の子が抱きついてくるイメージで、抱きつかれたのがわたしなのか、抱きついたのがわたしなのか、わからなかったけど、でもこっちのチョイスでよかったんだって喜びと安堵が広がったのを今も覚えている。

シッディはニューロンを通っている電気信号を変えて新たな通路を通すことでもあるそう。

もちろん瞑想という筋トレをしつつ、新たにできた回路からこれからどんな気づきが生まれて、苦しみをポロポロ剥がして美しい状態に持っていけるか、美しい状態になったとき、どんな現実が現れるのかとても楽しみだ。

富に辿り着きたくて、今回の瞑想会にも参加したわけだけど、富がないと幸せになれないという意識があり、苦しみの状態だったと思っていたこともわかった。どうして、わたしはそう思ってしまうのかこれからその種も深く見つめていこうと思う。

※瞑想会の内容はシェアしてよいと言われております(だよね?聞き間違いだったら教えてー!)

あ、佐野さんや横澤さんYASUさんが学んだグルが来日するイベントも6月15日にあるよ。こちらもシェアしておくね。


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