見出し画像

締切と人間

締切はまやかしだ。締切が不幸を生む。
それでいて、締切がかつてないチカラを生み出すトリガーにもなる。

かつてはわたしは8年ほどOLだった。ずっと部下がいなくて役職もなかったので、常に下っ端社員だった。わたしには先輩社員がいて、その先輩社員には上司がいた。

課長の上には部長がいて、事業部長がいて、そして役員がいて、社長がいて会長がいた。組織とはピラミッドによって秩序が保たれた巨大な生命体のようだ。そしてその生命体によってあらゆる事象が委ねられていた。

日々下っ端社員のわたしには仕事が与えられる。いつまでにこれをやってほしい。仕事には締切がもれなくついてきた。言われた締切が前倒しすることもよくあった。ベンチャー企業だったこともあり、スピード感が求められる会社だったことも大きい。

「あやの、この仕事ってもう終わったかな?」

聞いていたはずの締切はずっと先なのに、上司に確認されることも多かった。なぜこんな確認が入るかというと、上司の上司が新たに締切を切ったからだった。

締切を決めているのは”人間”だ。
私情も挟むし、感情もあるし、損得で判断することもある。
上司に怒られたくないから、締切が動くことだって当然ある。
納められた内容をチェックする猶予込みで締切を決めていくこともある。完全に自分都合である。つまり、本来は締切なんてない。誰かが勝手に自分都合で決めるから締切が生まれる。

そして関わる人数が多いほど、同じ仕事に締切が複数決められることもある。上司が15日まででいいと締切を決めても、上司の上司が10日までにと締切の上書きをすることもある。そして、慌てて仕事を片付けるのが下っ端社員というわけ。あー、あの頃はそんなやりとりに巻き込まれて抵抗もできずにただただこなすばかりで大変だったなぁ。

誰かが気分で決めた締切の仕事をヒイヒイ言いながらこなしていた。新たに告げられた締切に上司の上司が焦り、上司が焦り、わたしに感情的に伝えていった。まるで地獄の伝言ゲームだった。

その一方で、締切がなければ仕事が進まないのも事実。いつまででもいいよと言われたら放っておいてしまう。本来はサボりたいし、楽をしたいとわたしだったら思ってしまう。だから、締切には意味があるしあった方がいい。

そして締切はドラマを生む。明日までになんとかしなくてはいけない。一人で到底終わらせられる量じゃない。時には人を巻き込んで、寝る間も惜しんで期日までに間に合わせられたとき、チームには達成感が渦巻き、心地よい疲労感に浸れる。ドーパミンドバドバ、俺たちって最高!!みたいな何年経っても思い出として語り継がれるようなエピソードになることも多い。

締切は柔軟なのだ。不動ではない・・・こともある。
一方的に与えられた締切に理不尽さを感じるなら、本当にそのタイミングが締切なのか確認してみると意外とあっさり変えられたりすることも多い。これはフリーランスになってからの経験によって培った知見だ。

もちろん動かせないものもあるけれど、言われた締切にがんじがらめになって自分自身を苦行モードにぶっ込まないよう、疑ってかかるのもあり。
締切を作ったのは人間で、締切に実体はない。そう締切はまやかし。

いつも温かいご支援をありがとうございます💕サポートしたいと思われるような文章をこれからも綴っていきます✨