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「僕の狂ったフェミ彼女」と決めつけるのは簡単だけれど

「僕の狂ったフェミ彼女」
先月のジェンダー読書会の課題図書のタイトル、
なかなかに刺激的だった。

イラストも印象的
主人公スンジュンが数年ぶりに出会った大好きは元カノが、フェミニストになってデモに参加していた。

目の前の男ひとり変えられなくて、何がフェミニストだと煽って再び付き合い始めた二人の顛末。
ざっくり概要

もーねー、スンジュンが自分に酔いしれる王子様イズムが、全編にわたって甘ったるーい砂糖菓子のヴェールみたいにまとわりついて大変不快。

彼女が取引先で
セクハラやパワハラを受けたと知ったとき
スンジュンが怒るのは(無意識に認識している自分の持ちもの=)彼女を傷つけられたことに対してであって

彼女の仕事ぶりが正当に評価されなかったり、
女であることで舐められたことに対してではない。
そのズレはなかなか言葉を尽くしても通じ得ない。

どうして自分が正しくて
彼女を狂った存在だと決めつけるのか。

彼女を救って、フェミニストの呪いを解こうと、
自分が働きかければ、いつかは戻ってくれるはずだとどうして決めつけるのか。

どうして自分のルールが
正しいことが揺るがないのか。
その自信どこからくるん?神なの?
彼女が戦おうとしている相手を
どうして同じ眼差しで見つめてくれないの?

彼女の名前が作中で出てこないのは
特別な存在ではないことの象徴。
これは特別なお話じゃない。

仕事相手にセクハラされたり、
女だとなめられたり、
結婚や出産を人生の中の当然のスタンプラリーだと
会話の節々で強調されたり、
細かく不自由な日々の積み重ねが生々しく描かれている。

いまのわたしは結婚や出産をしたいと考えているけど、そうじゃないときもあった。

というか、
本当に結婚や出産をしたいのか考えるのに
まず"アタリマエ"や"ジョーシキ"を
脱ぎ去る必要があったから、
ようやく自分の頭で答えが出たという方が正しい。
特に"アタリマエ"や"ジョーシキ"にがんじがらめだった
20代のわたしには難しいことだったように思う。

でも、おおっぴらにいうこともなかった。
良かれと思って、自分の人生の正しさを押し付けるが如く、
いちいち反論を言ってくる人がいたから。
(あなたの人生を押し付けないでくれ。マジで。)

黙っていると
現状を受け入れてるとみなされるから、
声を上げるのがフェミニストだとしたら、

たくさんの非難や暴言を受けてまで、
表現しないといけない自由って、
なんて理不尽なんだろう。

ジェンダー関連の本を読むほどに、
苦い気持ちになるけれど、
それでもわたしが生きてきた時間の中で、

少しずつ変化の兆しが見られることが
せめてもの救いなのかな。
そうでも思ってないとやってられないくらい
根深いテーマなのだ。


狂っているのは誰なのか。

フェミニズムだけが正しいとは思ってない。
まずは知ること”一神教”にならないこと。

"アタリマエ"や"ジョーシキ"をゼロから捉え直せる力が今求められている。

その価値観は、
本当にあなたがえらんだものなのか。



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