[ポーランドはおいしい] 第14回 ホウレンソウ
子どもの頃、テレビでアニメのポパイを見ていて毎回腑に落ちないことがあった。ポパイがピンチになると取り出す缶詰の中身はホウレンソウと呼ばれていたけれど、その緑色のペンキのようなドロドロしたものが、私が知るホウレンソウとはどうしても結びつかなかったのだ。
うちでは、ホウレンソウはたいてい「おひたし」にして出された。ゆでて、ぎゅっと絞って、かつおぶしをのせて、お醤油をつけて食べる。ところがポパイは缶詰をぎゅっと握りつぶして開け、勢いよく吹き出す緑色の液体をまる飲みしていた。アメリカではホウレンソウをジュースにして飲むのだろうか?
その疑問は十数年後にポーランドで解けた。なんとポーランドのホウレンソウもドロドロだったのだ。
スクランブルエッグ、マッシュポテト、ドロドロのホウレンソウ
(2012年9月、Bogdan Zawadzki 撮影)
スタニスワフ・レムの自伝的中篇『高い城』に以下のような記述がある。
「私たちの皿の上でホウレンソウに色付けされた挽き割り小麦粥から、何という構成が生まれていたことか!」
このホウレンソウがおひたしでは色付けするのに具合が悪いわけで、ドロドロだからこそ小麦粥の白とホウレンソウの緑が混じり合って抽象絵画のようなコンポジションが生まれるのである。
さて、ポーランドで私は生のホウレンソウを見たことがない。ポーランド人はふつう冷凍食品として売られているピューレになったホウレンソウを買うから、葉っぱの姿を知らない。Bは日本に来て初めて生のホウレンソウを見て、ホウレンソウというのはこんな葉っぱなのかと驚いていた。
いちばん上の写真は2012年6月にクラクフで撮影した
ホウレンソウ入りピエロギです。
冷凍ホウレンソウの調理の仕方はこうだ。パック(500gくらい)を開封して凍った中身を鍋に入れ、火にかけて解凍し、ニンニクのみじん切り、塩、こしょうで調味し、最後に生クリームを加えてできあがり。これを目玉焼きや何かの付け合わせとして食べる。
離乳食みたいにドロドロなので歯ごたえはないし、生クリームが入っているから色も鈍くて冴えないし、ニンニクのせいでホウレンソウ独特の香りも消えているしで、日本のおしたしに慣れた口には、ホウレンソウの良さを無視したしょうもない料理としか思えない。逆にBに言わせるとホウレンソウにニンニクは必須で、かつおぶしなんぞ魚臭いものとホウレンソウをいっしょにするのはけしからん!ということになる。
ロースカツを食べるB。右の小鉢がホウレンソウ(2004年7月撮影)
要するに日本人から見ればこのドロドロホウレンソウは、目黒で食べたサンマの味が忘れられずサンマが食べたいと言うお殿様にお屋敷で出された骨抜きサンマのなれの果てのような、骨抜きホウレンソウのなれの果て(ホウレンソウにもともと骨はないが)と言っても過言ではなく、とうていいい歳をした大人の食うものではなく、老人と子ども向けのふぬけた食品である。
…と思っていたら、ポーランドの子どももホウレンソウはあまり好きではないらしい。
ふたたびレムの『高い城』からこんなくだり。
「私はこの緑の兄弟[植物を指す]に対する嫌悪を――ホウレンソウを無理やり食べさせられることとは関係なく――はるか昔から持っていた。」
レシェク・コワコフスキの『ライロニア国物語』所収の「長寿問題はどのように解決されたか」では、長生きするにはホウレンソウを毎日食べればよいと医師ナイナが提案。論敵のラモ医師はそれに対してこう発言している。
「実際のところ、みなさんはホウレンソウを押しつけられた子どもたちが、この食べ物に対してどんな態度を取るか、見たことがあるでしょうか。子どもたちはホウレンソウ料理が大嫌いでそっぽを向くので、無理やり食べさせなければなりません。」
そうか、ポーランド(とゴルゴラ王国)の子どももホウレンソウを無理やり食べさせられていたのか、とここで妙に納得する。ポパイがホウレンソウを食べるとパワーアップすることになっているのも、アメリカの野菜嫌いの子どもにホウレンソウを食べてもらおうという作戦だったに違いない。
註:
1. スタニスワフ・レム『高い城』は『高い城・文学エッセイ』沼野充義・巽孝之・加藤有子・井上暁子・芝田=訳(国書刊行会 2004)所収
2. レシェク・コワコフスキ『ライロニア国物語』沼野充義・芝田=訳(国書刊行会 1995)
2005.1.23
付記:上の文章を書いてから7年後の2012年6月、クラクフの市場の八百屋さんで、ついに生のホウレンソウが並んでいるのを確認した(↑写真左下)。
©SHIBATA Ayano 2005, 2017
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