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名前の力 [ポーランドはおいしい]番外編

 ポーランドの作家スワヴォーミル・ムロージェクの短篇にこんなのがある。
 作家らしき主人公の「私」が何もせず、窓際に座っていると、
「ヴワアアデク、ヴワアアデク!」
 という呼び声が聞こえてくる。が、呼んでいる人の姿は見えない。その声があまりにしつこいうえ、ヴワデクはいっこうに現れる気配がない。しびれを切らした私はヴワデクという名前ではないが、誰が呼んでいるのか確かめようと外に出る。中庭にいた人物はそこにあった管を指し、「管を取れ」と私に言う。私はその男とともにその管の両端を持って運ぶはめになり、いつのまにかガス配管業者になっている。
 ここでムロージェクは、文学者という肩書きはお役所が分類のためにつけたものにすぎず、その実体はあやふやで(実際何もしていないのだし)いつでも他の肩書きに取って代わりうる、と自虐的に皮肉るいっぽう、個人のアイデンティティとは一般に思われているほど確固たるものなのか? と読者に問いかける。
 この短篇「管」が書かれた一九七〇年代、すでにムロージェクはポーランド国外で亡命者として生活しており、結局三十三年間に及ぶことになる国外生活の間ずっと、自分とは何か、人間のアイデンティティとは何かを問い続けていたに違いない。ひょっとしたらポーランドに戻ったいまでも(付記:ムロージェクは一九九六年に祖国ポーランドへ帰ってきたが、二〇〇八年に南仏ニースへ移住し、二〇一三年に彼の地で亡くなった。遺灰はクラクフの国立パンテオンに葬られた)。
 作品の解説はこれくらいにして、ヴワデクという名前についてちょっと解説しよう。これはヴワディスワフというポーランド人男性のファーストネームの愛称である。
 ヴワディスワフの愛称がヴワデクになるように、スワヴォーミルの愛称はスワヴェクになる。ズビグニエフはズビシェクで、スタニスワフはスタシェク、ヴィエスワフはヴィエシェク、カジミェシュはカジク、ヴィトルトはヴィテク、ミロスワフはミレク、とまあこんな感じで、友人どうしではたいてい愛称を使う。…スワフで終わる男性名はスラヴ語圏に古くから伝わっており(チェコ語、ロシア語などでは…スラフ)、「神に祝福された」という意味がこめられている。女性だと、例えばアンナはアーニャ、アンカなどとなり、バルバラはバーシャ、クリスティナはクリーシャ、マウゴジャータはマウゴシャ、ゴーシャ等、マリヤはマリーシャなどと呼ばれる。
 日本人はポーランド人の名前になじみが薄いので、覚えにくいと思っている人が多そうだが、ポーランド人のファーストネームは日本人の名前よりバリエーションが少ないから覚えてしまえばどうということはない。aで終われば女性、それ以外は男性というのも日本名よりよほどわかりやすい。ちなみに手元にある『ポーランド語の手紙の書き方 Wzory listów polskich』という本には女性名が四十九、男性名が五十九載っている。これで全部というわけではないが、たいていのポーランド人の名前はここに入ってしまう。私の友人の一人は、奥さんの名がアグニェシカ、同僚に別の二人のアグニェシカがいるという。クラスに例えばトマシュが二人いると、大きいトメク、小さいトメクと区別して呼んだりもする。もちろん全然別のあだ名をつけることもあるし、名字の方が短く印象的だったりすると名字で呼ぶ場合もある。

『ポーランド語の手紙の書き方 Wzory listów polskich』
この本は大変役立っています。

 ポーランド人の名前は基本的にカトリックの聖人の名前だ。カレンダーには毎日、その日の聖人の名が二つ三つ書いてある。だから誕生日の他に「名の日」というのがあり、誕生日と同様か、それ以上にお祝いする。ムロージェクの短篇「アントニ」では、毎年の「名の日」のパーティーにうんざりした、つまり友人たちが押し掛けてきて費用はこちら持ちで飲み食いし大騒ぎするのに嫌気がさしたアントニくんが、自分の名の日、すなわち六月十三日の朝、森へ逃げ込む。するとそこで六月七日のロベルトに出くわし、その後、数人のアントニとも出会って……というナンセンスなお話(いちばん上の写真は六月十三日の日めくりカレンダー。アントニとルツィヤンの名が生格形で書いてある)。なお「名の日」にはカードを送る習慣もあるので、『手紙の書き方』に名前と名の日の一覧が載っているというわけだ。最近ポーランドの街を走っている新型バスは、運転席のすぐ後ろの上方に電光掲示板がついていて、バスの番号、行き先、今日の日付のほか、本日の「名の日」を祝われる人の名前が赤ランプで表示される。ワルシャワのオケンチェ空港を出てこのバスに乗り、名前を見たとたん一気に「ああ、ポーランドだなあ」という感慨が湧いた。次の停留所の名が出るかな? と思って見ていたが、それは出なかった。

電車内の電光掲示板に表示された「名の日」はアウグスティンとヤロミル
(2012年5月28日撮影)

 ポーランド人の名字はファーストネームに比べればかなり種類が多い。…スキ(もしくは…ツキ)で終わるものが典型的なポーランド風の姓で、シュラフタ(かつてのポーランドにおける特権階級)の家系と言われている。これは形容詞の男性形なので、女性の場合は…スカ(…ツカ)になり、夫婦連名の場合は…スツィ(…ツツィ)となる。ヤギェウォという姓は、十四世紀末から十六世紀のヤギェウォ王朝に由来する由緒正しき姓とされている(が、私の知人にヤギェウォがすでに二人いて、二人ともとくに高貴なお方ではないので、それほど珍しくもありがたくもないと思う)。
 面白いと思うのは動物名が多いこと。Kot(コット)猫さん、Lis(リス)狐さん、Pająk(パヨンク)蜘蛛さん、Sikora(シコラ)シジュウカラさんなどという人が身近にいる。墓地で、墓石に書かれた名前を見て歩くのは結構楽しい。それから曜日の名前。友人がクラクフの電話帳で調べたら、Poniedziałek (ポニェジャウェク)月曜日さんからNiedziela(ニェジェラ)日曜日さんまですべての曜日が見つかった。Czwartek(チファルテク)木曜日さんという知人もいる。『ロビンソン・クルーソー』の登場人物、金曜日に出会ったという理由で名付けられたあのフライデーは、ポーランド語訳ではPiątek(ピョンテク)と直訳になっており、たぶんポーランド人は奇異な名前とは感じないのだろう。月の名前もあった。Styczeń(スティチェン)一月さんからGrudzień (グルジェン)十二月さんまで。クラクフにはPaździernik(パジジェルニク)十月さんだけがいなかった。
 友人の知り合いにPiszpanピシパンという変わった姓の人がいた。警官に名前を聞かれたとき、彼はわざと「Piszpan」としか言わなかった。警官は「Pisz Pan=You write」と言われたのだと思って、ペンを構えたまま次に言われるであろう姓を待っていたそうだ。
 日本人の下の名前はポーランド人にとって(たぶんおおよその外国人にとって)男だか女だかわからないうえ、eやoで終わるのが多いから変な感じがすることだろう。ポーランド語ではeやoで終わる単語は中性形だからだ。私の名のAyanoも中性形なので、Ayasiaと女性形にしたり、女性形か男性形のあだ名で呼ばれたりすることが多い。固有名詞も格変化するポーランド語では、外来語もかなり無理やり格変化させてしまう傾向がある。「私はKonishikiが好き」という場合、Konishikiを形容詞形と見なして、Lubię Konishikiego(ルビェン・コニシキエゴ)と言っていたのを聞いたことがある。
 昔、ロシア語を習っていたとき、日本人の学生どうし日本語の名前で呼び捨てにするのは具合が悪いので、先生(日本人)が一人ひとりにロシア名をつけてくれていた。私はたしかスヴェトラーナという名前だった。それでも日本人どうしで「マクシム」だの「ナターシャ」だの「ピョートル」だのと言うのは気恥ずかしかった。
 その後、ワルシャワ大学の外国人向けポーランド語夏期講習というのに通って、ドイツ人やフランス人やオーストリア人やイタリア人やブルガリア人やフィンランド人などといっしょにポーランド語の授業を受ける機会があった。ドイツ人の男の子がモーツァルトと同じウォルフガングという大層な(と私には思える)名前だったり、フランス人やイタリア人にはパトリツィアとかクロティルダとかきらびやかな(と私には思える)名前の女の子がいたりした。そのなかにヘートヴィッヒというドイツ人女子学生がいて、担任のピョトル先生(ついでに言うと、クラスメートが担任のことを「ピョトルが……」と言うのは、日本人の感覚では先生を呼び捨てにしているように聞こえてどうもなじめなかった)は、ヘートヴィッヒはポーランド語でヤドヴィガだからこのクラスではヤドヴィガと呼ぼう、と言うのだった。なぜヘートヴィッヒがヤドヴィガになるのかは知らないがそういうことになっているらしい。キリスト教圏の言語の名前には、ポーランド語の名前に相当するものが結構ある。聖書に出てくる名前は当然、各国語でそれに相当する名前があるからだ。例えば英語のメアリーはポーランド語ではマリヤ、イヴはエヴァ、ジョンはヤン、ピーターはピョトルに当たるといった具合に。だが、困ったのは日本人の私とトルコ人のタリンという名の女子学生だった。ポーランド語に該当する名前がない私たちはそのままの名前で呼ばれた。
 クラスの女の子たちは日本人の名前にかなり興味を持っていた。フランス人だったかオランダ人だったか一人の女の子が、「アサコ」というのは日本人の女性の名前でしょう? と私に訊いた。それがきっかけで皆が日本人の女性名を挙げてほしいと言うので、私はお経のように思いつくまま名前を羅列した。アサコ、アキコ、アケミ、マユミ、サチコ、ミドリ、カヨコ、ヒロコ、ヒロミ、ヨウコ、ケイコ、サユリ、リエ、エミ、トモエ、ヤヨイ……。彼女たちは詩の朗読でも聴くみたいに、呪文に掛かったように、うっとりとして聴いていた。そしてそれが終わると口々に、音がきれいだ、耳に心地よい、とポーランド語で一生懸命に言うのだった。
 日本にいるときはあまり日本人らしくもなく、日本人であることを意識していなかった私だが、にわかに日本人代表にさせられてしまい、とまどいながらも、いま私の与える印象が「日本人(女)の印象」としてのちのちまで彼女たちの中に残るのだろうな、と咄嗟に頭の隅で思った。

初出:〈未来〉2001年10月

©SHIBATA Ayano 2001, 2017

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