季節の変わり目
「はい。」
「よろしくお願いします。」
「すみません。」
パート先の工場、自分の声が鼓膜にへばり付いて離れてくれない。浅い呼吸から発せられる、高くて細い声。これは私本来の声ではない。合唱コンクールでは、いつもアルトパートだったもの。余所行きの声、完全武装の声。つくづく自分が嫌になる。
いつからか人前で、地声で話すことが出来なくなってしまった。無意識に高い声で話すようになってしまった。
結婚して、夫の転勤に付いてきた。転勤に付いていく妻という立ち位置。自分で選んだことだけれど、ずっとモヤモヤは消えないままだ。
メインはいつでも夫だ。私は、それに付帯する者だ。卑下するわけではないが、例えば夫が刺身だとしたら、私はツマだ。ステーキだとしたら、クレソンくらいか。喫茶店のサンドウィッチに添えられる、あのパセリに果たして意味はあるのだろうか?
ライトが当たるのはいつも夫で、私のストーリーなど周りの誰も求めてはいない。だから私も余計なことは話さない。どうせ数年で引っ越すんだもの、波風立てず平和に、立つ鳥跡を濁さずにだ。
行く土地土地のやり方に従って、見よう見まねで子育てをした。夫の邪魔をしてはいけないと、子供たちを守らなければならないと、だから自分を出してはいけないと、自分で自分を押さえつけた。
誰のせいでもないが、結果、愛想笑いと媚びた声だけが身についてしまった。
私の感情がビーカーの中の液体だったとしたら、私はその上澄みだけで言葉を紡ぎ、表情を作り日々を生きている。無味無臭のさらりとした、あとに残らない、時間が経てば蒸発して影も形もなくなってしまうような私の言葉に、何の意味があるのだろうか。
なりたい自分になれているのか。もはや何をしたいのかも分からなくなって、正直途方に暮れている。
ビーカーの底には付着物があった。ガチガチに固まってしまっているそれこそが、私の本当の気持ちなのだと思う。
こびり付いてなかなか剥がれないそれをこそぎ取って、顕微鏡で確かめてみようか。一体何が見えるだろうか。
自分が自分であること。弱気な私はその一歩を踏み出せるのだろうか。秋の風を感じながら、少しうつむいて、それでもこれからのことを想っている。
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