あとの祭り✧♡②
前回は八戸市民の祭りへの温度の低さに言及した。というのは、津軽人は総じて祭りへの温度は高いからだ( ´艸`)
藤井風の歌にも「まつり」という私の藤井風の歌で好きな歌ベスト3に入る歌がある。
その歌ではかすかに「ラッセラ」というつぶやきがはいる。
そこで青森県民の心、鷲掴みとなるのだが、それは日本で超有名な青森ねぶたの掛け声である。
私の故郷の弘前ねぷたの掛け声は全く違う。
「ヤーヤードー」という物騒なものだ。
なぜなら2つの名前の似たねぶた(青森)とねぷた(弘前)は、全く性質の違うものだからだ。私も正直言ってどっちが「ぷ」で「ぶ」なのかわからない( ´艸`)でも今はネットがあるから検索すれば出てくる。覚えない、覚えられないのである。今も、物騒な弘前が「ぶ」だと思ってたら「ぷ」の方だったの~と実はあせっている( ´艸`)
全く違う2つの「佞武多」について説明しよう。
青森は、人形佞武多。人形型なのである。これは観れば一目瞭然。
青森は凱旋佞武多。何かいいこと、戦に勝ったとかいうことの佞武多である。掛け声は「ラッセラ~」と言うものに合わせ、ひたすら跳ねて踊る。
跳ね人(はねと)という踊り手がいる。
ラッセラ~「良成良」と言う言葉には「さらに良く成る」という意味があり、自分の願いを胸に大地を跳ねると言霊が叶うと言う。
青森の重鎮からそんな貴重な話を聴いた。
弘前ねぷたの掛け声は「ヤ~ヤド~」。もっと物騒なのだ。
上町と下町の喧嘩ねぷたなのである。町でねぷた同士が出会い、しのぎをけずる。その掛け声が「ヤ~ヤド~」なのだ。
どうやら喧嘩する者同志は殺気立ったプロみたいなもの、物見遊山の見物人が、うっかり喧嘩ねぷたに巻き込まれてケガするということが昔は起きていたようだ。
今はそんな物騒な感じは身をひそめているが、私が子供の頃は、夜行館という演劇集団のねぷたがあった。弘前の三大粗悪ねぷたと呼ばれ、蠟燭の暗い灯りのねぷたで、団員たちが着物の襦袢とかおどろおどろしい姿で引き、子供の私は、彼らが通り過ぎる時に絡まれたり、ずいぶん脅かされた記憶がある。
その夜行館の団長の笹原茂朱は、おりしも、唐十郎氏の状況劇場を一緒に立ち上げた人。状況劇場の役者さんで有名なのは深夜食堂の小林薫。
笹原氏はリヤカーを引いて青森の津軽を目指し、弘前に拠点を作り、芝居をした人。
彼が書いたねぷた祭りの本を私は買って持っている。
弘前大学の学生の頃、教養の授業で、笹原氏が教鞭を取る「演劇論」があり、私もその授業を選択していた。美術科の先輩2人が、その劇団に所属していて、夜行館のお芝居を、大学生の時によく観たのである。
弥三郎節の嫁いびりの歌を元にした芝居だったり、津軽の風土が色濃いものだった。笹原氏はプロデューサーで、奥さんの阿修舞さんが凄い女優で、津軽で芝居をするうちに手踊りの名人選手権で優勝してしまったような方であった。彼女を芝居で観ると、とても背筋が凍るような鬼気迫る芝居をしていたのが印象的だった。本当に怖い。
唐十郎が亡くなったのは今年だった。
祭りで体温が上がらない八戸人と違い、弘前人は、太鼓の音や「や~やど~」と聞いただけで血が湧き肉が踊るのだ。
津軽弁で「じゃわめぐ」と言う。
だから、三社大祭は謎だ( ´艸`)
弘前市のねぷた祭りは踊らない、絵画を鑑賞する祭りである。
とくに扇ねぷたの後ろ姿は送り絵と言って、古今東西の美女が描いてある。ねぷたが通り過ぎる時に、勇壮な勇者の表絵を観つつ、裏の美女を見るのが市民の楽しみなのだ。
青森ねぶたも見るだけもいいが、どちらかというと踊り参加型のカーニバルである。
弘前は、しっとりと絵を鑑賞するねぷただ。
これらの絵を観て育った。
弘前一番の進学校の文化祭は、クラスで一つ、協力してねぷたを創り上げ、市内を引いて回る。一番の進学校の生徒にその体験をさせるのは、この市の文化を担う若者を育成するという目論見もあるのではないか?(現弘前市長もこの高校の出身で姉の同級生)
その高校を卒業した者は皆、あの青春の日々とねぷたの血の踊る調べに捉えられているからだ。
最近、note界の住人になった私の姉の記事に、ねぷた祭りの最新記事があった。時間のある方は、飛んで読んで頂ければ有難い💖
弘前市民の血は、ねぷた祭りの調べで、沸騰する( ゚Д゚)!
八戸市民の三社大祭への温度の低さは、正直、理解できないのだ✧♡
ヤーヤドー(*´艸`*)