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「一握りの抱擁」について
その手を、握りたい。
石の存在を借りた企画をはじめます。
「お守り」としての存在
私は「物」を作れない。
すること(詩作やデザインや撮影)はすべて「あるものをあるべき姿」に仕立てるということに尽きると思う。言葉だって隅から隅までこの世における借り物だ。土や木と話しながら形あるものを作り出したり、水と粉をこねて美味しいものを作るひとの仕事にときどき憧れてしまう。
昨年からときどき「お守り」と明言して詩のカードなどを作っている。
悲観しているわけじゃないけれど、ここは依然として立ち行かないところのままだ。
ものつくる人はみんなお守りつくってる。
— ayano ikeda (@i__ayano) November 1, 2020
飽和してるなって思う一方、お守りを差し出したい/受け取りたい人がたくさんいるこの世界がどんなところかを思わずにはいられない。お守りが必要な生を守るのがお守りしかないとしたらやっぱり少しやるせない。
届くところにいるならば、守らせてほしい。
物を作れない私が作るお守りとして、今回石の存在を頼ることにしました。
川辺や海辺で拾ってきた石を人の手に馴染むように仕立てて、詩を添えたものを「一握りの抱擁」としてお届けします。
自分はときどき石を持ち歩くことがあって、心細いときにポケットの中で握っている。携えられる友だちのような存在に守られてきた。友だちは無口だけれどやさしい。
遠くのあなたへふれるあたらしい方法として、抱擁を届けたい。
ひとりとひとりで生きる上で、他者へ腕を広げることが必要不可欠だと信じてやまない私のひとつのこころみです。
真剣なあそびとして石売り
石に一生があるとしたら、それはうんと永い一生だろう。
私からあなたへ石が渡ることは瞬きのようなほんの些細な時間かもしれない。もしも私が石だったなら、永遠のさなかの一日を人間と遊ぶのも面白いと思うんじゃないかなって想像して、勇気を出して、自分よりうんと永い歳月を生きる相手を真剣なあそびに誘うことにしました。
石売りってこの星の究極の商いだと思っているので、限定的であれ石売りになっているひと・ところを見ると、わーーーってなる。陶製の石はどんな触り心地なんだろう。
— ayano ikeda (@i__ayano) July 26, 2020
昨年こんなことを書いていたのですが、まさか一年後に自分がこの星の究極の商いを始めることになるとは思ってもみませんでした。
石を拾うことのたのしさももちろんありますが、力を貸してくれる石を見つけられたときのよろこびはひとしおです。
お届けするものについて
未発表の一篇を石と一緒にお届けします。
(発表した詩を今後どのようにまとめたりするかはまだ未定です)
ちいさな巾着にお入れしてお届けします。
ロゴをシルクスクリーンで一枚ずつ刷りました。文字が読みづらいけれども!「A handful of hug」です。
刷り損じを小物入れとして日々使っていますがラメが飛んだりはしないのでご安心を!
詩について
ミニアルバム作るような気持ちでどんどん詩集作りたいし、配信シングルのように詩を届けられたらいいなってずっと思っている。
— ayano ikeda (@i__ayano) March 25, 2021
言葉を発信する術がすごいスピードで多様化しているこの世界で、未発表の詩を一篇で発表(販売)できる形を長い間模索しています。
先月から受付をはじめた「誕生日のための詩」は、注文者の方が託してくださったものに詩を書かせてもらっていると日々痛感していて、ひとりでひとりを思うことの幸福感を十二分に味わっています。
一方「一握りの抱擁」はテーマを定めず、一篇ずつ紙上のデザインを変えてゆけるので文字数も自由です。どんな詩が届くかわからない状態で手にとっていただくことを求めるということにやっぱりこわさもあります。本来、石も詩も価格をつけることがとてもむずかしいもののはずで。在り方についてはこれからもひきつづき悩んでゆくと思います。
楽しみながら、流動的に最善をひとつひとつ選んでゆくので、どうか楽しみながらお付き合いいただければうれしいです。
初回は以下の4点です。
「勇気のかたち」
「星霜」
「涙がこぼれたら」
「名前が去るとき」
これからもゆるやかに追加してゆきます。
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