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親愛なる身体への便り

 身体はままならない。ずっとそう思っていた。心の在りように反して痛んだり、心の在りようを増幅させ痛んだりする。気持ちをうまく抑え込んでも、身体は痛みや苦しみを体現する。私の精神より自由なやつ。もしも内臓に性格があるなら持ち主とそうかけ離れてはいないだろうに、私よりずっと繊細で癇癪持ちでまるで幼い子のようにも思えた。その子は大きい声で泣ける。その子は痛みを不平とする。その子は自分が一番がいいのだ。だから、胃腸なんかは私にとって最も気を遣う相手だった。いつからか従えようとするのではなく、身体が話すことを聞くようになった。観念したのだと思う。ここまで大きな病気こそしなかったけれど、内や外にある様々なままならないものの中でもかなり手強く、なにより一番近しかった。

 「手当て」に十年使うと決めて、三年目である。2020年の怪我を発端に身体はさまざまなことを教えてくれた。たとえば身体・肉体は私の精神とは別の性格を持っている。今ではそのように思えてならない。肉体が非日常的な危機に立ち向かうとき、戸惑う感情や思考をそっちのけにして、俄然頑張るのである。思考の外で「方角」が決まっている。動く。治る。痛みの外へゆく。くるしみを越えて、生きる。そこへ向かうための方角を身体は決して間違ったりしない。どんなに思考が昏くても、感情が追いつかなくても「私は生きる!」と身体は強く主張する。一日ずつ、良くなっていく。昨日できなかったことができるようになる。明日はもっと良くなる。念じるよりも前に身体がその気であることが伝わってくるので、いよいよ一層、あなたは私の精神より強いやつである。幼い子のように思った日が今や遠く、もしかしたらあなたはずっと前からそうだったのかもしれない。私にはわからずとも、生きるということはいつの日もそんなあなたに手を引かれることだったのかもしれない。

 どうして肉体にこのようなやる気と知性が当人が気後れするほどに備わっているのか、考えてみてもわからない。生まれてくること、生きようとすること、目には見えないものが「私」というものを先導してきた、その連綿と続いてきた日々の最先端に今日の日があり、今日の私たちがいる。

 私の持ち物の中で一番頼もしく、誇らしい身体よ。私は素晴らしいあなたに運ばれつつ、そしてあなたに素敵なものを見せてあげられるよう、遠く遠くまで連れてゆこう。多くのものに出会おう。多くの人に出会おう。あなたのよろこびやかなしみが言葉にならずとも、私はあなたの言葉ならざる言葉を聞こう。あなたが潰えるその日まで、一番近くであなたの友であろう。


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