脳くらげ
ことばは、「くらげ」のようだと思っていた。
それは芸術大学の卒業制作でわたしが表現したいテーマでもあった。
とらえどころがない浮遊物は、
ただただ、漂う。
脳内に「くらげ」がいるんだ、
この「くらげ」をつかまえ、「作品」に昇華させようと必死だった。
グラフィックデザインを学んでいた割には抽象的なものを
表現しようとしていて、考え、唸り、試作含め失敗もたくさんした。
しかし伝えたいことへの技術と知恵、強さがわたしには無く、
脳くらげの表現に、最後まで納得いかなかった。
結果、「今までやったことないことに挑戦をすることで終わろう」
という学生だから許される甘い考えに落ち着き、
パソコンでしか作品をつくってこなかったわたしは
畳1畳分の大きなキャンバスを購入した。
その真っ白い板は、「さぁ、なにを描いてくれるんだ」と
言わんばかりの存在。
制作の締め切りが近づく中、アクリルや油絵の具を使って
書き込んでいる余裕はない。
やったことのないことをやって終わることが目標だったのに
「わたしは画科でなくグラフィックデザイナーだった」という
都合の良い考えが蔓延ってしまい、
まだ文字にもなっていない記号のようなもので脳くらげを表現した。
(その作品が、こちら↑)
今思えば、表現までの過程、コンセプトがめちゃくちゃだな笑!と思うが、
できあがった作品自体は案外、自分では気に入っている。
考えもなくキャンバスに手を出した割には、まとまった気がしてて。
しかし多感な時に「脳くらげ」なんというものを見つけてしまったがために
「デザイン」の前に「ことば」と向き合ってしまった。
それもあってか、デザイナーを募集している広告制作会社の最終面接時に
自作の本を2冊、もっていった。
もちろん装丁だけではなく、中身の詩と小説も自作だ。
デザイナーとしての面接なのに、小説なんて持って行く奴なんて
不採用に決まってる。
が、「コピーライターになれるんちゃう?」と言われ、
デザインノートなんかにも載ってるちょっと有名な広告制作会社に
内定をもらった。
当時は「ライターで内定もらってしまったのか…?!」と
入社式までどきどきだったが、無事デザイナーとしての名刺を頂戴した。
氷河期と言われていた時代に志願していた会社にデザイナー職で入社でき、
これも「脳くらげ」に向き合ったからなのか?と、
今振り返れば結果オーライ。
まぁでも、今の自分だったらこうはつくらないな 笑。
あれから10年。
デザイナーとして随分成長した…と思うことにした。
入社後の地獄!?の日々は、また追って書きためていこうと思う。
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