会食恐怖症とその弊害
私は、幼い頃から人と食事をするのが苦手だった。物心ついたときには、家族と外食しても食べない、親戚の家に行っても食べない、給食も食べることなく過ごした。
子供の頃なら「好き嫌いある」「緊張している」程度で終わる話で、中学生高校生になれば、「ダイエットしてるのか」「少食なんだね」で終わる。
人と食べれないことで、最初に問題と感じたのは、会社に入ってからだ。社長との会食。これが一番問題と感じたのを、20年経った今でも覚えている。
会食恐怖とは何か?
人に会食恐怖という話をほとんどしたことがない。理解されないならまだ良いけれど「え?私と食べたくないってこと?」と言われるからだ。
まず相手がどうこうではなく、自分側に問題が起こっているので、誰がという問題ではない。人前で食べることに恐怖を感じているということ。
「意味がわからない」と言われることがほとんどだけれど、何か嫌な経験があったから出来ないのではなく物心ついた頃から、人前で食べることができない。
会食恐怖という言葉も最近知った
ある程度、この性格と付き合ってくると、人前で食事をしないと「少食だね」で終わるようになり、そもそも食事に行くことにならないように気をつけてきた。例えば、大人数で食事をして食べてないことを気づかれないようにした。
自分は変わってるよなあ?と思いながらもなぜかわからないので、仕方ないかと過ごしていたところ、数年前、テレビで「会食恐怖症」という言葉を知った。
こんな名前があったのかと驚きつつも、自分だけではなかったのかとスッキリした記憶がある。
会食恐怖症との付き合いかた
30年以上も人前で食事が出来ないと、いい加減その
習慣に慣れてくる。
若い頃は人前で食事が出来ないこと、デートでも食事をしないこと、会社の付き合いで食事に行けないこと、結構しんどいと感じたこともあったけれど、慣れてしまえばそれらを避ければ良いと付き合えるようになった。
・人と会うときはカフェにして飲み物にする
・仕事関係で食事を含む打ち合わせや交流をしない
・親や親しい人にはなんとなく伝えておく
といった対応をするようになった。
食事は人とすると楽しいという常識
食事は人とすると楽しいというのは、間違いではない。私も人と会って話をするのは、好きだ。
けれど、食事をすることに関しては、私は一人が一番好きだ。自分で食材を選んで料理して、ゆっくり時間をかけて食事をするのは、一番リラックスできる。
そういう時間を過ごせるようになってからは、食事をすることが、少しだけ楽しく感じるようになった。
原因追求するのであれば
会食恐怖症に原因などはないかなと感じているが、しいていうなら、そもそも私は食事に限らず、人と過ごすことがあまり得意でない。
ここでも相手が悪いのではなく、一緒にいることで気をつかってしまう自分に疲れてしまうのだ。
なので、人前に立つときは、仕事と割りきっているけれど、それ以外の時間はひとりでいることがほとんど。
ひとりは寂しくないかと聞かれることも多いけれど、定期的に撮影をしたり、教室を開いたり、マルシェに出店したりと、毎月いろんな人といろんな形で交流することは、適切な距離感を感じることができるので心地よさを感じる。
会食恐怖症の話を書いた理由
こういった自分の習慣を書こうと思ったのは、まだ出会ったことのない同じ症状の人がいるかもしれないかなと思ったこと。あとは、同じような症状で悩んでいる人がいるなら、参考程度に書いとこうと思ったからだ。
多かれ少なかれ、人それぞれ良いことや嫌なことの基準があるとおもうので、そのひとつにこんなのあるんだと思ってもらえたらいいなあ。
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