見出し画像

距離が気になる

「さてと…」
スマホを手に取り、いつものように目的地までGoogle マップで検索する。
この日の目的地は吉祥寺。私の家からだと徒歩とバスで1時間弱、約7キロだ。
約7キロ。
この、目的地までの「距離」に焦点を当てるようになったのは、割と最近のことだ。
なぜなら私は、移動するときにまず真っ先に何分で着くかを考える、つまり「時間」を考えるタイプだった。そして、目的地まで何キロかあかるかなんて考えたこともなかった。
そんな私が、この1年で時間よりも距離が気になるようになった。

今日はそんな、私と距離のお話だ。

私は車を運転するのが大好きだ。去年ランニングを始めていなければ、今も1番の趣味はドライブだったと言えたかもしれない。

32歳で免許を取った。私は生まれてからずっと東京で暮らしていて、電車で移動することが当たり前の生活だった。免許を取る必要もなければ、車にも全く興味がなかったのだけれど、東京から熊本に引っ越した途端、必要に迫られて免許を取り、中古の安い車を買ったのだ。
梅雨時期にうどんのような太い雨が降る熊本。
車がなければ幼稚園に通う娘の送迎も買い物も、かなり大変だった。
免許と車を手に入れてから、暮らしはびっくりするほど快適になり、自分で好きな時に好きな場所へ移動できることがまるで魔法を手に入れたかのようだった。
運転することに夢中になり、休みの度に車に乗って山や海、気になる農園やイベント等に出かけるようになった。
 
↓大好きな天草の茂串海岸(片道3時間)

出かける時にGoogle マップを見て「片道1時間から2時間なら日帰りで余裕かな。」時間を軸に目的地を決めていた。
長時間運転していると幼い子供達も昼寝をするし、一緒にいるけれど1人で落ち着ける時間にもなる。だからあえて少し遠く、それでも子供達が翌日の生活に響かない程度の時間に帰ってこれる場所へ行ったりしていた。

それから数年経ち、私はまた東京で暮らすことになった。熊本は路面電車とバスが主流で普通の電車に乗ることはほとんどなかった。というか、車にしか乗ってなかった気もする。そのため東京に戻って、久しぶりの電車に乗る生活にはなかなか戸惑った。東京といっても23区外に住んでいるので、都心へ行くにも結構時間がかかる。目的地までをGoogleマップで検索。何分で着くかな、やっぱり真っ先に時間を見ていた。

そして現在、私は走るようになった。ランニング歴は約10ヶ月になる。
走り始めた頃は子供が家で待ってるというのもありとりあえず20分走ってみよう、とか、ランニングを時間で管理していた。慣れないランニングは膝も痛くなるし筋肉痛にもなる。そしてすぐに疲れる。走っているときも「あと何分走れば良い」と考えていて、時間が過ぎるのを待っているかのようだった。
しかしランニングを続けていくうちに子供達は応援してくれるようになり、私が走る時間は制限がなくなった。それとともに、走ることも習慣化してきて距離にも注目するようになっていった。
どのくらいの距離をどのくらいの時間で走ったかランニングの記録をStravaというアプリで見ている。
結構走ったつもりでも3キロもいってなかったり、10キロってこんな遠くまで来れるのか、と驚いたり……
走ることで人生で初めて距離を意識するようになった。

そして走る仲間とこんなイベントを開催してみた。 その名も「中間地点で待ち合わせラン」。内容は、参加者3名の家の中間地点に目的地を設定して、各自あらかじめ決めた時間に着くように走ってくるというものだ。
互いの住む場所に結構な距離があっても、各自走って中間地点で会えば距離を感じなくなる。
このとき私は片道8キロ走った。つまり約16キロ離れた場所に住む仲間に、走って会うことができたのだ。出会えたときの感動と興奮は今でもよく覚えている。
この企画は感動の割に淡白なところがとても気に入っている。
余分なコミュニケーションが必要ないのは、ランニングを好きな理由と似ているのかもしれない。
しかし自分で計画しておきながら、私は片道8キロという数字だけしか頭に入っていなかった。そして往復16キロもの距離を走らなければ帰宅できないということに、復路割とすぐに膝の痛みを感じ始めて気がついた。この頃の私はまだ、やっとのこと15キロ走れるようになったばかりだった。
走れない、もうダメだ……と1人呟きながら何度もコンビニで休憩し、膝の痛みを騙し騙し走ってなんとか家にたどり着いた。
この日はなんだか距離に「甘くみるなよ」と叱られたようだった。

さて、この頃くらいから私は距離検索に夢中になり、場所を聞いたら距離をすぐ調べる、どこからどこまでは○キロだからランニングコースに良いじゃないか、など気がつけば距離のことばかり考えていた。距離と自分との関係性が変わっていることに気づいた瞬間だった。
まるで好きな人のことを考えるように、ニヤニヤしながら距離のことを考える……

1月のある日、娘が出展する作品展が行われた。
市が主催ということで、普段行かないような場所が会場だった。私はいつものようにGoogleマップで場所を検索する。
結果は、目的地まで4.8キロ。
ん?4.8キロか……。この数字を目にした途端、私には作品展の会場まで「走る」以外の選択肢はなかった。
そう片道5キロ弱、往復約10キロはランニングするのにちょうど良い距離なのだ。
そこからは早かった。
いつものようにランニングウェアに着替え、ランニングシューズで家を飛び出した。

寒かったものの、走ればすぐに体は暑くなる。
薄着くらいでちょうどよかった。冬のランニングはやけに気持ち良い。 
この日は珍しくペースを落とさずに走ることができた。
予定通り30分ちょっとで会場に到着。
確実に徒歩とバスより早く着いたこともあり、ご満悦な私はにこやかに中へと入っていった。

しかし受付に着くと…耳を疑った。受付の人の「あの…こちらは違いますよ。」というなんだか嫌な言葉が聞こえてきたのだ。
思いがけずキョロキョロと周りを見ると、ガラスに映った自分の姿が目に飛び込んできた。
あぁそうか、今日は娘の作品展だった……とようやく思い出した。ここは少なくともランニングの折り返し地点にすべきでない場所であった……。

寒空の中を走り、私の顔はいろんな汗でぐっしょりになっていった。
周りを見ればスーツ姿やワンピースを着た品のある保護者達が、作品を優雅に見ているではないか。
娘には申し訳ないが、私は作品を流し見て会場を後にした。

この日から、距離とは少しだけ距離をおくようになった。別に不仲ではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?