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#1小伝馬町『田そば』の、忘れられない味は立ち食いで(食べるふたり第1回)

シュニチさん

毎年秋になると金木犀の甘い匂いに包まれながら家の前の道をランニングしているのですが、今年は走らぬままに金木犀のシーズンを終えてしまいました。
ここからは気温が下がり空気もきゅっと引き締まってくるので、私の怠けた気持ちも引き締めて、次の休みは久しぶりに長距離のランニングをしようかなと考えたりしています。
シュニチさんの住む京都は、まだ金木犀の香りが漂っていますか?

私の家から駅までの道のりはちょっと長くて15分程度あるのですが、朝の通勤時は目を覚ますのにもちょっと考え事をするにもちょうど良い距離だったりするのです。
最近の話だと、少しお腹が空いている朝は金木犀の甘い香りが心地よく、秋のスイーツについて考えたりしていました。猛烈にお腹が空いている朝は金木犀の甘い香りが邪魔になり、もっとしょっぱくて脂っぽい食べ物を想像したいという理由でいつもと別の道を通って駅まで歩いたりしていました。食いしん坊の朝はなかなか平和なものです。

今日はそんな、しょっぱくて脂っぽい食べ物を想像して歩いた日のことをお話ししようと思います。

私はここ数年「立ち食いそば」にハマっていて、口コミや本を見ながら行ってみたいお店リストを日々更新しつつ、月に何度か立ち食いそば屋を訪れています。
リストのお店は日々増えていくので、行ってみたいと思っても距離の問題で後回しにしてずっと行けずにいるお店も多くあります。
どのお店もいつか行けるだろうと軽い気持ちでいたのですが、2023年の秋、悲しいお知らせが次々に舞い込み、自分の考えの甘さを感じずにはいられなくなりました。
というのも、新宿区の歌舞伎町をはじめ都内に数店舗にある、揚げたての天ぷらと本格そばが人気の立ち食い蕎麦屋「いわもとQ」が突然全店閉店したという情報が飛び込んできたり、オリジナリティ溢れるトッピングに根強いファンが多い中央区日本橋の小伝馬町にある「田そば」がビルの解体に伴い閉店するというお知らせを知ったからです。
駅前に多く存在する立ち食いそば屋は、駅周辺の再開発によって移転ではなく閉店するお店が目立っています。店主の高齢化や材料の価格の高騰も影響しているようで、立ち食いそば好きにとって、この抗えない現実は非常に辛いことです。

いわもとQの閉店の知らせは突然だったのですが、田そばの方は閉店1ヶ月前からSNSで話題になっていたのでこれは開店しているうちに一度行かねばと思い、自宅から1時間かけて田そばまで行ってきました。こちらは開店からまだ10年経っていない、立ち食いそばの中でも比較的新しいお店です。店主も若くて働き盛りの年齢ですし、本当ならばまだまだこの場所で営業し続けたかったのだと思われます。

平日の午前11時50分頃、小伝馬町駅のすぐ近くにある田そばの前には10人近くのお客さんが並んでいました。営業時間を短縮しているために行列は開店前からかなりのものだと聞いていましたが、噂通りです。食べ納めに来たお客さんが次から次へと列に並び、列はどんどん伸びていきます。
こちらのお店は立ち食いそばといってもトッピングの種類が幅広く、牡蠣や白子、松茸などの高級食材もあるため、最初で最後になる田そばで何蕎麦を食べるか非常に悩みました。
結局欲張りで食いしん坊な私はトッピングを1つに絞ることができず、券売機で自分の番が来たときには「牡蠣そば」「天ぷら」この2つのボタンを押し、お昼から立ち食いそば屋で2,000円以上使うというかなりの贅沢をしてきました。

店内は5名までしか入れず、入り口から見ての左右の壁にそれぞれが向き合う形で立って食べるスタイルでした。入り口の正面にあるカウンターで店主に食券を手渡し、出来上がりまで待ちます。この日は店主が1人で営業しているため提供までに時間がかかり、「お時間かかってごめんなさい。」と謝っていたのですが、立ち食いそばの基本とも言える「早い、安い、うまい」の安いが抜けた時点で早さのことなんてすっかり忘れて、待ち時間の間は調理する店主を見ながら1人でワクワクしていました。

しばらくして、ついに私のお蕎麦が完成しました。

「わぁ!」思わず声をあげてしまいましたが、見惚れている場合ではありません。提供されたら1番美味しい出来立てを素早く、それでいてしっかりと味わって食べなければならないからです。
まずは蕎麦つゆを二口飲んで、この店のつゆの特徴を把握します。
その後、牡蠣そばの上に岩海苔と薬味を乗せ、トッピングの味、蕎麦の味、トッピングと混ざり合ったつゆの味を堪能していきます。
蕎麦つゆは鰹節の香りが上品で、甘みも弱くさっぱりとした味わいで、トッピングの個性を邪魔しないけれども他の具材と混じり合うことでより味に深みを増す、最後までついつい夢中で飲み干してしまうつゆでした。
そばは生そばで細くて喉越しが良く、どんなトッピングとも相性が良いように思われます。
そして、何よりも感動したのが圧倒的な存在感の牡蠣です。
そばの上に乗ったでっぷりとした牡蠣は、火の入りが絶妙でとてもまろやか。そしてこの大きさだというのに牡蠣の味がぼやけずにしっかりとして、口の中で磯の香りと旨みと心地よい苦味が広がっていくのです。久しぶりにこんなに美味しい牡蠣を食べた、というのが正直な感想でした。また、これまであまり海のものを蕎麦に乗せたことがなかったのですが、牡蠣と岩海苔が持つ磯の香りがそばつゆによく合い、それらを掬い上げながら食べるそばの味が実に素晴らしくて感動しました。
隣でそばを食べていた男性が「本当に美味しかった、ありがとう。」と言って空の器にゆっくりとお辞儀をしていたのですが、きっと常連さんでしょう。
私はこの一言に込められた想いを想像しながら、田そばを後にしました。

それから約1週間後、私は田そばで食べたそばの味が忘れられずにいました。
また食べたいという強い思いを諦めきれず、閉店3日前の田そばに再び足を運んだのでした。
この日は豊洲市場から仕入れた穴子の天ぷらを乗せた穴子天そばのみの販売でした。行列を避けるためにも開店30分以上前から並び、1回転目で無事に穴子天そばをいただいてきました。

大きな穴子はふっくらしっとりとしていて衣のサクサク感と、揚げ油に使用している胡麻油の香りは相性が抜群でした。
塩でそのままいただきたくなる本格的な天ぷらですが、つゆに浸って溶け合うと、もう気持ちも元へは戻りません。そばつゆの染み込んだ穴子天は優しいのです。食べる度にじわじわといろんな角度からつゆの香りと味が顔を出してきます。様々な旨みに包まれて、心も胃袋もすっかり持っていかれてしまうのです。
お店のInstagramを見て、店主は食材の美味しさを最大限に引き出す努力をしている方だと感じていたのですが、店主の腕と食材に対する拘りを信じて食べにきてよかった。この日はそんな風に思いました。

そうは言っても、高級食材を使って高い値段で提供すればどこでも美味しくなるんじゃないかとか、立ち食いなのに値段が高すぎるだとか、そういった口コミも見かけたのですが、私はそれは違うと思っています。
どんなに良いものを使っても、その味を殺してしまう調理しかできなければ美味しいものにはならないし、素材そのまま出したところで、それ以上の味にもならないからです。素材の持つ本来の美味しさを知っていて、かつ、良さをより引き立たせる調理方法を知っていているから、感動できる味になるのだと思います。
また、今回そんな高級食材を立って食べるという、通常ではあり得ないシュチュエーションだったからこそ、目の前にあるトッピングの乗った蕎麦に集中できたようにも思いました。
目の前は壁、自分のスペースは肩幅より少し広いくらいで、食べること以外には何もできない。そんな状況で食事をすると異常なほど食事に集中できるのです。滞在時間が長くて15分程度というのもポイントで、少し値段の張った蕎麦屋で座ってゆっくりと同じものをいただくのとは違った集中力や味覚センサーが働くような気がしました。
昔からある我々がイメージする立ち食いそばとは違った、立ち食いそばが持つもう一つの価値を、この田そばを訪れたことによって知ることができました。

今回ご紹介した田そばは、ビルの解体に伴い2023年10月末で閉店となり、店主は今のところ移転を考えていないようでした。
けれども、これだけ料理に対する探究心溢れる店主が、食材と向き合うことを辞めるとは到底思えないのです。
どんな形であれ、再び私たちに料理を提供してくれることを願って止みません。
数ヶ月後、もしくは数年後、田そばの店主が新しいお店をスタートしたときには、シュニチさんにも食べていただきたいものです。
そんな日が来ることを、待ち望んでいてくださいね。

そういえば、京都では立ち食いそば屋さんを見かけた記憶が無いのですが、京都の人からすると立ち食いそばは珍しいのでしょうか。
またいつか、そんな立ち食いそばの話しを聞かせてくれたら嬉しいです。

アヤモ


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