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『ディズニーオンクラシック まほうの夜の音楽会 2022』には確かに「まほう」があった話

「まほう」の前に

 12月17日土曜日、そして12月18日日曜日に体験したディズニーオンクラシックがいかに素晴らしかったかを語りたいだけのエッセイである。エッセイと言い張るつもりである。概要以外は堅苦しくないので、ディズニーオンクラシックを知らない方は概要から、知っている方は次の章からご覧ください。

ディズニーオンクラシックの概要

 ディズニーオンクラシックとは、ディズニーの名場面・名曲をオーケストラとヴォーカリストの生演奏で味わう、クラシックコンサートである。開催20周年となる今年2022年は、Aプログラムをラプンツェル、Bプログラムをノートルダムの鐘をメインに構成されており、映像に合わせて演奏されるオーケストラの迫力や、生だからこそ味わえるヴォーカリストのアドリブを楽しむことができる。他にも作品部門やパーク部門、歌曲部門など各ジャンルで1番リクエストが多かった楽曲を堪能することができた、節目に素晴らしいプログラムであった。

感動した勢いのまま書くディズニーオンクラシック

 端的に感想を述べるとしたら、ラプンツェルは沁みた。ノートルダムの鐘は体中が震えた。どちらの映画も私の大好きな映画で、大好きな曲が盛りだくさんである。いや、このコンサートに参加してみて気づいた。嫌いな曲などなかった。

 どちらの映画も知らない方へ簡単にご説明すると、ラプンツェルは自由を求める溌溂とした女性が主人公だ。彼女の性格を表したように元気で明るく、夢は必ず叶うといったアップテンポな曲もあれば、不意に訪れるラブロマンスに合わせたロマンティックな曲もある。対してノートルダムの鐘は自由を夢見るが自分の容姿のせいで自信がない男性が主人公だ。舞台が教会であることが多いからか厳かで重く響く曲や、主人公が夢を諦めきれず力強く歌う曲が多い。しかし対照的に、主人公の友達の陽気な性格を反映した曲や旅人が奏でる異国情緒あふれる曲などもあり、幅広いジャンルを聞くことができる。

 実はディズニーオンクラシックには1部と2部があり、先ほど説明した内容は2部で演奏される内容である。1部はお客様アンケートのリクエストを元に「作品部門」「パーク部門」「歌曲部門」の1位が演奏されたり、ルーレットで当日演奏する曲を選ぶといった遊び心が満載だった。

 つまり当日までプログラムが一部わからなかったのである。だからと言って1部が悪かったわけではない。よかった。とてもよかった。当日のルーレットで曲が決まる場面ではハラハラドキドキした。1階から5階までアリーナ状態になるほどノリに乗った時もあった。知らない曲でもオーケストラの迫力に鳥肌が立ち、もっとこの歌声を聞きたいと魅了され前のめりになるうちに、1曲1曲があっという間に終わってしまった。それほどよかった。

 だがそれを上回るほど2部が超めちゃくちゃよかったんだもん仕方ないでしょ!もともと自分はラプンツェルとノートルダムの鐘を目当てにチケットを入手したので、2部の感想が重くなるのは仕方がない。引き続き、2部にフォーカスを当てて書きなぐっていく。

 自分はあまりクラシック体験がない。音楽は好きだが、知らない曲が多いと寝てしまう気がして怖いのだ。その点、ディズニーオンクラシックは自分の好きな曲で溢れている。そして演奏だけではなく、ささきフランチェスコさんというナビゲーターがソツなく、「いい」としか言えないタイミングでアナウンスをし、会場を盛り上げてくださる。聞く、聴く。見る、視るのバランスが心地よい、静と動が居心地よく流れる音楽会なのだ。

 そうそう、これも他のクラシックコンサートに行ったことがないので比較できないのだが、ヴォーカリストは通常踊るものなのだろうか?ディズニーオンクラシックではヴォーカリストさんの踊りも楽しめる。なんなら踊りだけの曲も存在していた。ヴォーカリストは普通踊るものなのだろうか……???もはやミュージカルではないか?メインは確かに歌ではあったが、笑顔で踊りながらホールの端から端まで震わせる声量で歌って、最初は目玉が飛び出るほど驚いてしまった。

 普通だとしても普通じゃなかったとしても、心から湧き上がる楽しい、つらい、苦しい、哀しい、嬉しい、幸せ、そういった感情が自然と歌声に乗り、体を動かして踊ってしまう。正しくディズニーの世界から出てきたかのような威風堂々としたヴォーカリストに、まほうにかけられたようにうっとりと聞き惚れ、見惚れてしまった。

 些細な話かもしれないが、1曲1曲終わるごとに観客が送る拍手も素敵だが、指揮者の方や演奏者の方が送る拍手も心が温かくなった。互いを尊敬し、演奏していることがわかるのは観客から見ても嬉しいものです。皆が音楽会を、今日という日を素敵な日にしようと決意しているのが、そんな些細な行動からわかってしまうのです。

持ち帰ったまほう~ライト~

 このコンサートではグッズとしてライトを売っており、指揮者を迎えるときやノリのいい曲のときに様々な色に光らせたライトを振ることができる。ぜひ観客やオーケストラの皆様と同じように振ってみてほしい。会釈をしたら会釈を返すように、手を振ったら手を振り返すように、誰かがライトを振ったらライトを振り返してほしい。自分からライトを振ってみてもいい。確かに気持ちは伝わる。今は声を出すことは許されないけど、花やプレゼントを贈ることは許されないけど、確かに伝わる気持ちがあると、ライトを振ることで実感できた。

 こんなに純粋に、腕が痛いほどライトを振ったのは何年ぶりだろう。そもそもとして、こんなに気持ちをまっすぐに届けたいと思ったのは何年ぶりだろう。気持ちは届くと信じてがむしゃらにライトを振ったのは初めてではなかろうか。そんな自分で自分じゃないようなまほうをかけてくれたライトは、今机の引き出しにしっかりと仕舞っている。来年の出番を夢見て。

まほうに必要な条件とは

 普段生活するうえで、心配、不安、悲しみ、寂しさ、孤独、つらさ、疲れ。ネガティブな気持ちを抱えていることだろう。だけどその気持ちを持っていたとしても、音楽会を楽しむ気持ち、その気持ちだけは大切に持ってほしい。あとはまほうの力が皆を引っ張ってくれる。オーケストラも、指揮者も、ナビも、ヴォーカリストも、楽しんでいるお客さんも、そしていつの間にか音楽に夢中になっている君も、「夢は叶う」というまほうを生む出す力を持っている。あの音楽会に集まった皆で、ちょっとずつまほうを持ち寄り、そのちょっとずつが次第に大きなまほうとなり、忘れられない音楽会を生み出すのである。誰が欠けてもいいまほうは生まれない。いいまほうを生み出そうと、そういう心構えでないとあの音楽会は楽しめない。でもそんなに片意地張ることはない。ただ楽しみたいという気持ち、それだけを持っていれば、皆に優しく背中を押されて、いつの間にか自分も皆の背中を押して、皆で一つの方向に向かい、いいまほうを作っていく。そういう音楽会なのである。終わったころには確かに、コンサート会場に入る前の君とは違う、何かを手にした君になっているだろう。

 こんなご時世のせいで、いつの間にか「しかたない」「しょうがない」が口癖になっていた。それが今日の音楽会で、まったく知らない他人と「すごかったね」「感動してね」「聞けて良かったね」と興奮交じりに話し合っている。そんな現実をなんとか繋ぎとめた、この音楽会。まほうはまだここにある。

 繋ぎとめてくれて、ありがとうございました。ぜひ、味わってほしいと思う。

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