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shinuno yameru

とある自死の手引き本を熱心に読んでいる。
一番王道で楽な方法はこれだ、と知って、安堵している。
そんなことを調べてほっとして、タイトル通り、私は死ぬのを辞めた。

そんなことを言いつつも、昨日の夜はロープの結び方を調べたりしていた。動画サイトにアップされていたのだが、コメント欄を見ると、さようなら、頑張ったね、楽になりたい、というコメントが山のようにある。人生ってなんて虚しいんだろうね。コメントの中にあったけど、この動画を再生した人の中には、もうこの世に居ない人もいるんだよね、と。
生きづらくて、息苦しくて、どうしてこんな思いをしなければいけないのか。本当に謎、どうして苦しむ為に生まれてきたんだろう。

余談ですが、ペシミスト(半出生主義)のシオランという人の著書を一時期愛読していた。当時の自分には読み解くのは難しい点もあったが、それでも

生きるのは地獄だ

ということがひしひしと伝わってきて、何となく満足した。

前回の記事で、いざとなったら団地の四階から飛び降りてやろう、と書いたが、それって案外非現実的なことみたい。もっと高さが必要だし(そんな気はしていた)、外には植え込みがあるし(ほれみたことか)、自転車置き場にはトタン屋根があるし(こんなの無理に決まってる)、たぶん未遂に終わるので、辞めた。

首吊りも考えた。成功率が高い方法とは言え、まぁやるだけの価値はあるかもしれない。

しかし、私は変な目標を立ててしまったのだ。
イヌに癒されたい。

以上です。


自分は死にたいと思っている。でも死んでしまったら命を迎えることもできないし、一生自分と人生を共にしてくれるイヌには出会えない訳で、そんな自分、ちょっと勿体なくない?という何ともぼんやりとした理由です。
寂しさは常にあるし、ずっと家に居たいけれど、誰かにこの苦しみを聞いてほしい、誰にも言えないなら死にたい、死んでしまいそうだから自分が生きる目的になる、護るべきいのち、というものがあれば、生き延びられるのではないか。
そう思った部分もあるのだが、
「飼い主の都合でイヌを延命措置にするなんて、エゴではないか。」
と気付き(遅いよ)、その考えも捨てた。

自分の命なんて大して価値は無いし、捨ててしまえたら楽だろう。苦しまずにしにたい。でも私には、私を必要としてくれるあたたかいいのちがほしい、そのいのちに出会いたい。だからもう少し生きてみる。

とんでもない目標を立ててしまった、、、。
続き、書きます。

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