見出し画像

無職5日目、私はまだトモダチの本名を知らない

我が家には、数年前から時折ふらりと遊びにくる猫がいる。

画像1

野良猫の「ぶち」だ。

「ぶち」という名前は母が勝手につけた。
どこかの家猫なのか、本当の野良なのかは定かでないので、本名は知らない。

母の命名の由来も知らない。
十中八九、白黒ぶち模様の「ぶち」だと思われる。
なんて安直な名付け方だろう。
少しは可愛い名前で呼んであげればいいのに、と思いつつも、母がそう呼ぶので私も習って「ぶち」と呼んでいる。

とはいえ、犬に囲まれて育ってきた私は、生粋の犬派である。
うちに寄りつく猫が珍しいとは思っても、犬以上に愛しい動物はいないので冷静な目で見ているつもりだ。

いつの頃からか我が家のウッドデッキで日向ぼっこをするようになったぶち。
全盛期にはボス猫として君臨し、この辺り一帯の猫たちのドンのような存在だったようだが、最近では少し年をとり、穏やかにまどろむ姿を見せるようになった。

ところで、ぶちは猫らしい猫だ。

遊びに来たい時に来て、いつの間にかいなくなる。
そういえば、彼が来る姿も帰る姿も、私は見たことがない。
気付けばそこにいて、ぱっと煙のように消える。

他の野良猫と積極的に争うことはしないけれど堂々たる風格。

かと思えば、私の顔をみて甘えたようにニャンニャン声を出すこともある。


さて。
ここで、無職三十路女の話をしよう。

無職となって5日目となった。
未だ無職に慣れていないつもりだ。

だがしかし、一つ気づいてしまったことがある。

時折私は、本気でこの猫に話しかけているのだ。

驚愕だった。信じられなかった。犬派の私が、猫にガチになっている。

時間を持て余した30歳も過ぎて久しい無職女が、猫に話しかけているなんて、明らかに狂気の沙汰としか思えない。

この現状、理解はしつつも、私は日々ぶちが来るのを心待ちにしているし、遊びに来れば人間の友人と話す時のような口ぶりでぶちと会話をしている。
天気の話、毛並みの話、果ては政治の話まで。

無職で三十路で、友達は猫って!!!

でももう白旗だ。
彼は毎日かわいい。まず顔がかわいい。でも性格は落ち着いていて懐が深そう(知らんけど)
ぶちがただ「ごろん」してるだけで写真を連射で数十枚撮ってしまえるし、見ていて全く飽きない。

そういえば今日首筋が痛いのだが、これは昨日無理な体勢でぶちをありとあらゆる角度から写真を撮り続けていたからに違いない。

あの時の私はカメラごしに彼を眺めながら、そうそう猫をたくさん見てきたわけでもないのに「この世で一番の美猫なんじゃないだろうか」などと思ったりもした。


そうして痛々しい三十路女は今日もぶちに話しかけるのだ。

猫は黙って、ただそこにいるだけ。
聞いているんだか聞いていないんだかわからないままに。

今日はぶちと呼ばれ、どこかではクリスと呼ばれているかもしれない本名も知らないこの小さな友人を、うっかりこうして記事にしてしまうくらいには気に入ってしまっている。

いただいたサポートは、妄想に使います。