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「らしい」を卒業したその先に。

やってしまった。2日連続だ。
変な時間に寝て、変な時間に起きるツーデイズ。
初日と2日目で多少のアレンジ違いくらいあっていいものを、ただ早々に惰眠を貪り、夜が静かになる頃に目を覚ますの繰り返しという体たらく。同じ過ちを繰り返し、ひたすらに「真夜中」の上に立ち上がってしまったから仕方がない。

各位、平素は格別のご愛顧を賜りまして、誠にありがとうございます。小学生時間に寝てしまい、深夜に目覚めてしまったことをここにお詫び申し上げます。
頭の中で掲示板に反省文を貼り出してみた。お詫び申し上げて、睡眠の不完全さを憂いでも仕方がない。草々。前略してないけど、リズム感の良さでつけておく。草々。

こういう時間に目が覚めると、なんだかややこしい感情に振り回されるのが私というもので、ああでもないこうでもないと思考を巡らせてしまったので、ある種振り切るようにこうして文章を書いている。書こうと思って書くのではなく、ただ目の前のキーボードに向かうだけ向かい、そこから心の赴くままに文章をつむいでみているわけだが、「なんだか悪くない」なんてことを思っている自分がいる。いや、正直にいうよ。同時に「誰も読まないでくれ」とも思っている。

出すとも出さないとも決めずにダラダラと文章を書くのは嫌いじゃない。でも読まれると意識した途端、私の中の「のちこ」が顔を出す。今は「のちこ」は欲しくない。うっかり醸し出される「のちこ臭」のする文章を、私は愛しているし憎悪している。愛とは表裏一体。愛している、時に憎たらしい。それがアウトプットと私の距離感なんだと思う。

大体「アウトプット」ってなんだ。私がやってることって、そんな「アウトプット」なんてかっこよさげな横文字で飾れるものなんだろうか。カタカナに逃げてはいないか。もっと適切な言葉があるのではなかろうか。そういえば酔いどれながら最近友人とそんな話をしたなと思い出す。結局なんと名付ければいいんだっけ。

こうしてうんざりするほど面倒くさい私が顔を出してしまう時があるのだけど、インターネットの世界は広くて。こういうめんどくささに付き合ってくれて、ともすれば同じ価値観を持ち寄ることができる友が増えてきたのはシンプルに幸せなことだと思う。世間様に迎合しなければと、ひとときのくだらぬごまかしを披露しなくていい。時にその無意味さを誰より自分がわかっているはずなのにやってしまうのは私の弱さか、愚かさか。

兎にも角にも。今日は「のちこらしくない」私なのだ。「のちこ」は一旦国にお帰りいただき、お盆あたりに帰ってくればいい。もはや実家はどっちだよと、「のちこ」が鼻息荒くツッコミを入れてくるけど、私にもよくわかっていないんだから仕方ない。いいから「のちこ」よ。どっかに帰っててくれ。

「のちこらしくない」私を誰にでも披露できるようになるのが、人生の一つの通過点のような気がしている。いや少し語弊があるだろう。「のちこらしい」が「のちこらしくない」と混じり合うことこそ、私の求める私なのかもしれない。グレードが少し上がった、アドバンスド「私」。「らしい」を卒業したその先に、目指すべき到達点はある。何この世界観。マルチバースか。もしくはシュタインズゲート世界線か。

ともあれ、生きる上で演技をするように「らしさ」を生きる人は存外多かろう。それが心を覆う柔らかな鎧になることもある。助けになることもある。そんな自分を好きでも嫌いでもどちらでもいいけれど、でもそれがどうか、重みを持たないように。居場所を脅かす大きさにならないように。がんじがらめな自分が当然のような顔をして、人生をひとりでに歩き出さないように。


「らしい」を卒業したその先に。
どんな私でも、私だと言える日が来るといい。
どんな私でも、好きだと言える朝が来るといい。

そんなことを思いながら、深夜の2度寝が始まる気配に身を任せる。

前略してないけど、草々。


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