よい文章を書く人は善き人であるか問題
先日スペースで某氏と語っていた際、こんなやりとりがあった。
素晴らしい文章を書く人は、善き人である
という旨発言したところ、「そうとは限らないのではないか」とご指摘をいただいたのだ。
「かの大文豪、石川啄木、太宰治を見るがいい」と。
全くもってその通りである。よい文章を書く人は善き人である、というのはどうやら私の幻想であり願望であったようだ。文章に人間性は必ずしも反映されない。悲しいかな、それが現実である。多くを傷つけ、裏切り、嘘をつき、それでもなお綴る言葉は美しい。それがまかり通る、これこそが恐ろしいまでの才、というものなのかもしれない。
「人間的によろしくない」とされるが才ある人間の文章を読んでいると、なぜだか彼ら自身すらも魅力的に感じてしまうのだが、それはなんだか矛盾しているようで妙な感覚に陥る。
さてどうでしょう。いい感じに始まった、「たぶん本当日記」。
本当は昨日更新予定だったのだが、すっかり仕事をして、きっちり趣味に高じてしまい、1日遅れで更新いたします。
いい感じに事が進むかと思いきや、これから先は普通に日記を書こうと思います。情緒不安定かな。
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