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無職の三十路女が無職になったらやりたかったこと
私には、練りこまれた無職計画があった。
「よ~し、無職になっちゃお☆」と謎の清々しさで仕事を辞めることを決意したのが2月初旬のこと。
その日から、無職になったらやることリストを頭の中で描いた。
頑張って働いてきたし、そろそろ自分にご褒美をあげよう。半年間位は絶対に働かない。気が済むまで休もう。自分をかわいがろう。
夢は広がるばかりだった。完璧な無職像が出来上がっていた。
「私の考えた最高の無職」は、意気揚々と華々しく始まる予定だったのだ。
憎きコロナウイルスがなければ……!
今回は、そんな「無職になったらやりたかったけどできなかったこと」の内の一つについて、自分で自分を慰めるため、文章として形にしようと思う。
学生時代のヨーロッパ旅行
2013年冬。大学生の時、友人と10日間のヨーロッパ旅行をした。日本を離れたのは生まれて初めてのことだった。
ここでキラキラ女子大生だった私の若かりし頃の姿をお見せしたい。
これは、滞在先にあったドライヤーがそよ風くらいの風力だったため、半乾き状態の髪で寝て、せっかくの旅行なのに頭頂部に寝ぐせが付いた状態のまま観光へ出た私。
でも今回お伝えしたいのは、そこじゃない。
この写真で履いているスニーカーは、日本から履いていったものではない。
旅行1日目にして履いていたブーツの底が抜け、真冬のドイツで半分裸足のまま彷徨い続け、足がズル向けになる前になんとか見つけたH&Mで購入した、スパンコールで最高にギラついたイカすスニーカーだ。
ちなみに日本人に合うサイズがなかったため、キッズ用である。
初海外、知らない土地、1足のスニーカーを手に入れるのにもなかなか苦労した。
この時、パケット通信料が使った分だけ加算されるタイプの携帯電話をレンタルして海外に来ていたため、絶対に地図をインターネットで調べるわけにはいかなかった。
お金のない学生旅行。いくら請求されるかわからない携帯電話は、命の危機がある時にこそ使おうと思っていたのだ。足は少々ずるむけても致し方ない。
誰かに聞くしか手立てがなかった私は、とにかくその辺の優しそうな人に「見て!靴の底がない!安い靴がほしい!」と尋ね歩き、憐みの眼差しで教えてもらったお店がH&Mだった。
めちゃくちゃかっこいいことを言うが、私のH&Mデビューはドイツだ。
当時のメモをもとに、どこのH&Mだったのか調べてみたところ、おそらくカイザー・ヴィルヘルム記念教会前の店舗だということが分かった。
今はコロナウイルスの影響で「臨時休業」と書かれていて、なんとも言えない切ない気持ちになった。店員さんがめちゃくちゃ優しかったな。
「ベルリン大聖堂」
さて、本題に戻ろう。
初海外の洗礼を受けた、この苦いブーツ底抜け事件の現場こそ、今回紹介したい「ベルリン大聖堂」、私が愛して止まない世界一の場所だ。
ベルリンのミッテ区、シュプレー川のすぐそばにある大聖堂だ。
皇帝ヴィルヘルム2世の命により1894年から1905年にわたって建設された。
日本人向けに設置されていた「概略案内」の冊子によると、第二次世界大戦によって、写真にも写っているドーム部分と地下にある墓所が大破した悲しい歴史があり、その後幾度にも改築を重ね、作業が完全に完結したのは2002年のことだという。
外から見るこの大聖堂は、ひたすらに美しく荘厳で、戦争の陰など1ミリも感じさせない穏やかな表情をしていた。
周囲に博物館などの文化施設が多いこともあり、たくさんの観光客で賑わう広場を抜け、入場料を払った上で大聖堂の内部へ足を踏み入れてみることにした。
人生で初めて、時が止まるような感動を覚えた。
自然と涙があふれ、止めることができなかった。
圧倒的だった。
ひたすらに荘厳で、美しく、畏怖を覚えるほどの世界が広がっていた。
ただただ鳥肌が止まらなかった。
私はキリスト教徒ではない。宗教のこともわからないが、この場所にいると思わず祈りを捧げたくなる「力」のようなものを感じた。これこそが宗教というものなのかもしれないと思った。
しばらく呆然と立ち尽くしてしまい、はたと気付いて隣を見ると、友人も涙を流していた。おそらく同じような感情を抱いたのだと察した。二人とも言葉はなかった。
世界最大規模のパイプオルガン、皇帝が座るボックス席、モザイク画、そのすべてが贅を尽くし、ある種の狂気すら感じるほどの精巧さを見せていた。ただただ圧倒的、その言葉に尽きる。
後から知ったことだが、先ほどの写真にある祭壇の奥の窓はそれぞれイエスの誕生、十字架刑、復活を描いているそうだ。基礎知識が全くなく、かつ美術に精通しているわけでもないので、一つ一つの宗教画の表す意味や意図がその場ではわからなかったことが今でも悔やまれる。きっと知っていれば何倍も楽しめたかもしれない。
大聖堂内は3つの教会と地下墓地で成り立っており、それぞれ「説教教会」「洗礼婚礼教会」「記念教会」そして地下にある「ホーエンツォレン家の墓」で構成されている。かなり広いため、時間に余裕を持って行くことをおすすめしたい。
270段先に見えたもの
さて、ドーム見学ルートの中には、270段の階段を登ると、ベルリンを一望できる場所があるとのことだったので、せっかくならばと行ってみることにした。
日常生活でも、270段も階段を登ることなどない。
なかなかきついなと思いつつも、50段ほど登ったところで気づいた。ブーツの底からべこべこという音がする。
後ろから、ご高齢の女性が登ってきていたので、急に止まるわけにはいかない。ひとまず音は無視することにした。
息が上がる。ハアハアという声にかすかに混じるべこべこという音。
ガムを踏んでしまったかのような足の裏の違和感。
もうちょっと、もうちょっと。
ベルリンの景色まで、もうちょっと。
ふと急に足の裏の感覚が変わった。
足元を見ると、汚い板のようなものが落ちていた。
私の靴底だった。
大急ぎで靴底だったその汚い板を回収し歩みを進める。
いやいや、ここで?ベルリンで?教会で?
初めての海外旅行の1日目で?
ブーツの底が抜ける?靴って割と必需品じゃない?
必需品っていうか、靴さえあればなんとかなる的なとこない?
それくらい大事じゃない?
靴って旅の相棒的なとこあるよね?
いきなり失う?相棒ここで失う???早くない?
か、神様~~ベルリン大聖堂の神様~~
なんの啓示だよ~どんな試練だよ~~~
旅行に行くというのに、長年たんすの肥やしとなっていた激安490円のブーツを履いていったのがそもそもの間違いだったのだ。
だいたい490円のブーツってなんだ、私めちゃくちゃ買い物上手だな。
パニックのあまり、意味の分からない思考回路で、なんとか270段登り切った。
確かに、270段登った先には、美しい景色が広がっていた。
でも心中はそれどころではなかった。
こんなに世界は綺麗なのに、私のブーツの底は抜けているのだ。
世界の中心にも思えるその場所で、私は右手に希望を、左手には汚い靴底を握りしめていた。
Googleマップで世界の悲しみを知る
以上が、ベルリン大聖堂で起きた事の顛末である。
苦い思い出もできてしまったが、10日間にも及ぶヨーロッパでの旅で一番心に残ったのがこの「ベルリン大聖堂」であった。
またあの心揺さぶる光景の前に立ちたい、今度はなんの憂いもなく、270段登ってやる。そう7年もの間熱望し続けてきた。
無職になったら、心をとらえて離さない、私の世界の中心ベルリン大聖堂へ行こう。
その決意は結局、コロナ禍の中、露と消え夢となってしまった。
ショックのあまり、Googleマップでベルリンの街を見て過ごした。多くの「臨時休業」の文字が胸を突く。Googleマップに踊る4文字でベルリンの悲しみを知ってしまった。
またいつか、世界が穏やかな日常を取り戻したら、私はドイツの地へ行こうと思う。
第二次世界大戦を乗り越えたその場所へ。世界の悲しみが消え去ったその時に。
底の抜けない、丈夫な靴で。
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